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赤穂義士 早水藤左衛門満堯の一部始終

はやみとうざえもん みつたか赤穂義士のトップページに戻る

早水家の養子になり馬廻を務める 二代の浅野家家臣。刃傷事件を知らせる第一便の使者を果たす。使者は過酷な旅程に耐え得る体力と精神力が必要で、信頼の厚かった人柄が窺える。

家紋です
家紋 丸に立沢瀉
銘板です
赤穂市内の銘板
家系図です
家系図

藤左衛門の特筆事項

宅跡の赤穂義士会説明板(転載)

早水藤左衛門宅地跡案内板
場所を確認

藤左衛門は、備前西大寺の郷士の息子であったが、迎えられて赤穂藩浅野の家臣早水四郎兵衛の聟養子となった。彼は若くして弓術に励み、赤穂藩中第一の弓の使い手であった。そればかりではなく和歌、絵画のたしなみもあり、文武両道に達した人で周りからも厚い信望を得ていた。殿中刃傷事件が起こったとき第一の早打ちかごで、萱野三平とともに、江戸から赤穂までの一五五里(約620km)をわずか四日半で急報した誠忠剛気の士である。
討ち入りに当っては、屋根にのぼって弓矢をかけ、長屋から立ち現れる敵を矢つぎばやに数人射たおし、目ざましい働きをした。引き揚げの際には、高らかに姓名を名乗って棟瓦に向かって二筋矢を射込んだと言われている。のちに細川家へお預けとなり、魚住惣右衛門の介錯で切腹した。辞世の歌 地水火風空のうちより出でし身の たどりて帰る元のすみかに 赤穂義士会

早水藤左衛門の画像です家系

新羅三郎義光の曾孫早水義春をもって始祖とする。発祥地は近江国浅井郡速水村。生家山口氏は元々多ゝ良氏で中国の豪族大内義隆とその始祖を同じくする名家であったが、大内氏滅亡後、長州山口から備前の西大寺村に移住した。

父について 素浪人が200石

実父 山口平八(岡山藩士)
養父
早水四郎兵衛は寛文四年(1664)正月十一日に二百石で浅野長直に仕える。一介の浪人が二百石で召し抱えられるのは人物器量尋常ならぬものがあったと思われる。元禄十五年三月二十八日赤穂で没する。墓所は赤穂大蓮寺で戒名は「覚宗春道」と過去帳にある。尚、早水の養祖父助兵衛は肥後熊本藩細川家の家臣であったが故あって主家を辞し筑後久留米に浪居を構えていた浪人で当地で没している。

赤穂への早籠使者 第一便の使者になる

刃傷事件発生当時、江戸在府中の萱野三平と共に第一便の使者として赤穂に赴く。
持参の書状は次の通り「大石内蔵助殿、大野九郎兵衛殿 態一筆新達候。今十四日勅答に付登城被成、於殿中吉良上野介殿を内匠頭様一太刀御切付之処目付衆取分被新、内匠頭様別条無之由に付右之段絶言語事候。依之水野監物殿御目付近藤平八郎殿、天野伝四郎殿、家中火の許急度申付騒動不仕候様にと御老中被仰付候由に而、此許屋敷へ被参候。夫に付其元家中者共城下之町騒動不仕様に急度可被申付候。且又組頭共へも我等申候由右之段可被申聞候。其外物頭諸役人へも可被申渡候。各中ケ間少候間両人之内罷下候儀必無用可被仕候為其如此候 恐々 三月十四日 浅野大学 書判」 早籠の仕組みと料金など 息継ぎ井戸の情報

橋本平左衛門の心中事件 後始末をする

十八歳の橋本平左衛門は籠城決死の列に加わり健気に見えたが、開城後大坂に出て新地の茶屋淡路屋のおはつという遊女と馴染み、ついに差し違えて死んでしまった。元禄十五年七月十五日(早水文書では十一月六日)のことである。橋本と縁故の深い佐々小左衛門は取り合わなかったが、藤左衛門は直ちに現場に赴き埋葬まで一切の後始末をしたと書いている。

高野山へ赴く 主君の墓碑を建立する

近松勘六と早水藤左衛門は高野山に参詣し主君の建碑に尽力している。「五月五日(元禄十四年)遠林寺迄内蔵助申談、花獄院殿久岳院殿景永院殿冷光院殿之ため日拝料為持、高野山へ発足同十六日帰着なり」と(江赤見聞記)にある。

弓術と教養

射芸を尾張の士、星野勘左衛門に学んで奥義を極める。京都三十三間堂に徹し矢を試み名を顕しているほか和歌及び絵画にも造詣が深かった。

藤左衛門の出自と経歴など

生年 寛文二年(1662) 家系 本姓 ・ 藤原氏(特筆事項に詳細記載)
没年 元禄十六年二月四日 出身地 備前西大寺
享年 四十歳 特筆事項に詳細記載
戒名 刃破了剣信士 実母 山口平八の妾で氏不明
養母 姓不明(播州赤穂在住)
禄高 百五十石 ・ 二代 兄弟 実兄 山口弥右衛門
実兄 山口甚右衛門
妹 閑女
役職 馬廻 親戚 省略
屋敷 赤穂城下・赤坂浅野家下屋敷 変名 曽我金助
幼名 不詳 仮寓所 江戸日本橋石町三丁目小山弥兵衛方
性格 信頼できる人柄で文武両道 討入守備 表門隊警備 吉良邸討入り時の詳細
広光二尺七寸 ・ 脇差 無之 お預け所 肥後熊本藩細川越中上綱利 赤穂四十六士の切腹
雅号 不詳 切腹場所 肥後熊本藩細川越中上綱利下屋敷
妻子 不詳 介錯人 魚住惣右衛門
辞世の句 「地水火風空のうちより出し身のたどりて帰る本のすみかに」(堀内伝右衛門覚書) 遺言は不詳
赤穂四十七士と萱野三平

表門隊(23士) 大石良雄 大高忠雄 岡嶋常樹 岡野包秀 奥田重盛 小野寺秀富 貝賀友信 片岡高房 勝田武堯 神崎則休 武林隆重 近松行重 富森正因 間光興 早水満堯 原元辰 堀部金丸 間瀬正明 村松秀直 矢田助武 矢頭教兼 横川宗利 吉田兼定
裏門隊(24士) 赤埴重賢 礒貝正久 潮田高教 大石良金 大石信清 奥田行高 小野寺秀和 茅野常成 木村貞行 倉橋武幸 菅谷政利 杉野次房 千馬光忠 寺坂信行 中村正辰 間光延 間光風 不破正種 堀部武庸 前原宗房 間瀬正辰 三村包常 村松高直 吉田兼亮 不参加 萱野重實

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