間十次郎光興(赤穂義士)

吉良上野介を炭小屋で見つけた功労者

はざまじゅうじろう みつおき

間十次郎サムネイル

間喜兵衛の嫡男

凶変の起こったときは二十四歳で、まだ部屋住みであったが知らせを受け父親と共に登城して最初から義盟に加わります。

九月七日、主君の仇を討つために千馬三郎兵衛矢頭右衛門七とともに江戸に下っています。

間家系図間家の家系図

家族

家紋:三階松間家の家紋

石板:赤穂市内間十次郎の石板

本姓
  • 藤原氏で蒲生忌寸の末裔
祖父
  • 大石家と同じく近江国栗太郡田上庄に古くから住み田上の庄の間(はざま)に居て間姓を名乗る。
  • 赤穂義士の間喜兵衛で弟の新六と親子三人で仇討ちに参加したのは間家だけ。大石内蔵助とは遠い親類。
  • 名不詳:赤穂在住
  • 中堂又助妻(秋元但馬守家臣)
実弟
  • 間新六(新六郎)
  • 母と一緒に赤穂在住

討ち入りの時

吉良上野介発見の功労者!

台所近くの炭部屋に踏み込むと、奧に誰か居る気配なので槍をつけた。うめき声がしたので武林唯七が一刀を浴びせて討ちとめた。

引きずりだして見ると白綸子の下着を着ている。これは普通の人ではないと、灯りで照らして見ると背中にうすく傷跡がある。

これこそ吉良上野介であろうというので呼び子の笛を吹いて一同を集め、大石内蔵助が止めをさした。

そのあと第一発見者として首級をあげ、泉岳寺では一番に焼香する栄に浴しています。

討ち入り姿間十次郎の討ち入り姿

教養

文武に秀でる

剣は堀内源左衛門正春(真心影流)門下で堀部安兵衛奥田孫太夫と並ぶ達人。槍術を水沼久太夫に学び山鹿流兵学を学んでいる。

江戸での生活がわかる手紙

赤穂の渡辺半右衛門宛(十一月五日付)

[(前略)私共居候処は麹町新五丁目にて候。同名喜齋儀も道中無事に先月十七日爰元へ致着申候。大食いたし被申笑申事にて御座候。

御気遣被下間舗候。私共家は表口壱間半に裏へ七間ほど御座候家にて御座候。畳は十二畳ほどしけ申候。

千馬三郎、同名喜齋、私、弟四人居申候。先月廿三日迄は中田藤内居申候か、俄に故郷恋しく罷成候哉廿三日之晩、爰元に林小左衛門と申仁御座候、藤内一家の者之由、是へ参候とて出申候か、廿四日の朝、小左方より発足上京申候。

扨々にくきやつにて御座候。(略)爰元の様子もいまだいつとても知不申候、然共当月中には善悪知可申候(下略)]

遺言

[剣の同門である細井広沢に鉄帽を贈りたい]

辞世の句

[終にその待つにぞ露の玉の緒のけふ絶えて行く死出の山道](赤城士話)

間十次郎備忘録
生年
  • 延宝六年(1678)
没年
  • 元禄十六年二月四日
享年
  • 二十六歳
戒名
  • 刃沢蔵剣信士
家系
  • 本姓・藤原氏
出身
  • 播州赤穂
屋敷
  • 江戸藩邸
役職
  • 部屋住み(中小姓・広間番説あり)
雅号
  • 如柳(じょりゅう)
妻子
  • 独身
  • 政次 二尺五寸程
  • 脇差 吉光二尺
変名
  • 杣庄伴七郎
  • 矢間重太郎光興(仮名手本)
仮寓
  • 江戸新麹町四丁目七郎右衛門店で千馬三郎兵衛と同居
討入切腹

赤穂四十七士と萱野三平

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