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赤穂義士 勝田新左衛門武尭の一部始終

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祖父の時代に浅野長直に 仕えて以来の家臣ながら農民出のため十五両三人扶持の微禄でした。剣客として知られましたが、七歳の時に両親と死別する不幸もあり孤独で不運な二十四年の生涯でした。

勝田新左衛門の家紋です
替わり切り竹二本
勝田新左衛門の討ち入り姿の銘板です
赤穂市内にある銘板
勝田新左衛門の家系図です
家系図

新左衛門の特筆事項

宅跡の赤穂義士会説明板(転載)

勝田新左衛門宅地跡案内板
場所を確認

新左衛門の祖父新兵衛は、常陸笠間領の農民であったが武芸を好み、その縁で内匠頭長直に見出されて召抱えられたという譜代の家臣で、長直が笠間から赤穂に移ったとき、祖父も従ってきた。
彼は義士若者組の一人で、剣術の腕前は、堀部安兵衛杉野十平次につぐ使手で、仇討ち急進派であった。殿中刃傷事件が起こったときは、僅か二十二才の若冠であったが、決然として義盟に加わり、開城後は江戸に出て本所三ツ目横町の杉野十平次の隠れ家に同居して、町人嘉右衛門と変名して、吉良邸の様子を探っていた。勝田新左衛門の画像です討ち入りに当たっては、表門隊に属し、奥田孫太夫矢田五郎右衛門と三人で組んで屋内に切り込み大奮戦した。のちに毛利家へお預けとなり、進藤為右衛門の介錯で切腹したが、遺言もなく、あっさりと思い切った人柄であった。 赤穂義士会

墓所が二箇所
  • 泉岳寺
  • 法楽寺(勝田家墓所)、茨城県大和村大字本木には供養墓がある。

新左衛門の出自と経歴など

生年 延宝八年(1664) 家系 本姓 ・ 源氏
没年 元禄十六年二月四日 出身地 播州赤穂
享年 二十四歳 勝田新左衛門
戒名 刃量霞剣信士 佐藤甚右衛門の娘
禄高 十五石三人扶持 ・ 譜代 兄弟 姉 酒寄作右衛門妻(元浅野内匠家来)
姉 近藤十郎左衛門の妻
役職 札座横目 ・ 中小姓 親戚 省略
屋敷 赤穂城下 変名 町人 嘉右衛門
幼名 不詳 仮寓所 江戸本所徳右衛門町一丁目 長十郎店
性格 終始一貫仇討ちの意志不変 討入守備 表門突入隊 吉良邸討入り時の詳細
大日如来の梵字有之 大小共に尺不明 お預け所 長州府中藩主毛利甲斐守綱元 赤穂四十六士の切腹
雅号 不詳 切腹場所 毛利甲斐守綱元下屋敷
家紋 替わり切り竹二本の他に瓜の内釘貫の説がある 介錯人 進藤為右衛門
妻子 独身 講談では幕府与力大竹重兵衛の娘を嫁にしたことになっているが間違い
辞世句 不詳 遺言 不詳
赤穂四十七士と萱野三平

表門隊(23士) 大石良雄 大高忠雄 岡嶋常樹 岡野包秀 奥田重盛 小野寺秀富 貝賀友信 片岡高房 勝田武堯 神崎則休 武林隆重 近松行重 富森正因 間光興 早水満堯 原元辰 堀部金丸 間瀬正明 村松秀直 矢田助武 矢頭教兼 横川宗利 吉田兼亮
裏門隊(24士) 赤埴重賢 礒貝正久 潮田高教 大石良金 大石信清 奥田行高 小野寺秀和 茅野常成 木村貞行 倉橋武幸 菅谷政利 杉野次房 千馬光忠 寺坂信行 中村正辰 間光延 間光風 不破正種 堀部武庸 前原宗房 間瀬正辰 三村包常 村松高直 吉田兼定 不参加 萱野重實

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