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赤穂義士 萱野三平重實の一部始終

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江戸城松の廊下での 刃傷事件で浪人となり、ふる里に帰ります。実家は徳川恩顧の家柄で亡君への忠誠と仲間への義理の板挟みで苦悩の末に自刃します。遺言書は大石内蔵助に同志だと言わしめた内容で、辞世の句には自殺直前の心境が吐露されています。忠臣蔵のふるさと赤穂市の大石神社には義士四十七士と共に祭神として祀られています。

萱野三平の家紋です
横木瓜五つ目
萱野三平の実家の写真です
三平の実家
萱野三平の家系図です
家系図

三平の特筆事項

手跡と花押 真筆の手紙発見!

相生市明顕寺の古文書のうち一通が萱野三平自筆の手紙であると平成二十五年に赤穂市教育委員会が発表しました。神崎与五郎宛で、文中に子葉(大高源五)の名もあり俳諧を通じた三人の交流ぶりがうかがえる内容です。

萱野三平の手跡です
画像は手紙の巻末部で左端下が花押です
赤穂藩との縁と禄高

十三両三人扶持の新参で十三歳の時、萱野家の主君である大島出羽守義近に頼んで浅野内匠頭に推挙の結果、仕官が叶ったとする説と二十一歳の時に中小姓として仕官したとする二説があります。

江戸城松の廊下で刃傷事件発生!

赤穂への早籠第一便使者となる! 刃傷事件発生当時、江戸在府中で早水藤左衛門と共に浅野大学の書状を持って赤穂に急を知らせる。「大石内蔵助殿、大野九郎兵衛殿 態一筆新達候。今十四日勅答に付登城被成、於殿中吉良上野介殿を内匠頭様一太刀御切付之処目付衆取分被新、内匠頭様別条無之由に付右之段絶言語事候。依之水野監物殿御目付近藤平八郎殿、天野伝四郎殿、家中火の許急度申付騒動不仕候様にと御老中被仰付候由に而、此許屋敷へ被参候。夫に付其元家中者共城下之町騒動不仕様に急度可被申付候。且又組頭共へも我等申候由右之段可被申聞候。其外物頭諸役人へも可被申渡候。各中ケ間少候間両人之内罷下候儀必無用可被仕候為其如此候 恐々 三月十四日 浅野大学書判」 早籠の仕組みや料金などの詳細 息継ぎ井戸の情報

浪人姿の画像です仕官か仇討か 苦悩する

萱野家は代々大島家の家臣で一族の中に紀州家で槍奉行を務める者がおり、一方吉良家も将軍家、紀州家と血縁関係がある。三平は神文誓紙の手前、親に仇討ちを話すこともならず、まして父の薦める他家への仕官などできる筈もなく亡君への忠節、仲間への義理などの板挟みで進退極まり苦悩の末に自決を決断するに至る。

遺言書

四十八番目の義士に相応しい内容 大石内蔵助宛(元禄十五年一月十三日付)で「年始の御祝意として先達て愚礼を呈し奉り候。然は旧冬来吉田忠左衛門近松勘六申し合せ当春江戸へ罷り下るべくと存じ奉り候ところ愚父七郎左衛門儀その主意を知らず、強くこれを制止候。最も本意を申し候は却って喜悦仕るべくとは存じ候へども、お手前様え差し上げ置き候神文の手前も御座候へばたとい父子にてもその儀口外仕りがたく、君父忠孝の間においていさゝか当惑仕り、之により自殺仕り候。最も吉田、近松へ別紙を以て申さず候間、お手前様より然るべく奉り候」

自殺の日と切腹刀 主君の月命日に自殺

元禄十五年一月十四日(長矩の月命日)に自室で自刃する。切腹前夜は父や兄嫁と談笑の一時を過ごして自室に戻り、暁近く主君の墓所を遙拝する姿で一尺九寸二分備中国水田国重作の脇差を腹に突き立て壮烈な死を遂げる。陽が高く昇っても起きてこない三平を案じた家人が臥所に入り発見している。

泉岳寺の墓碑 一時期不明になる

大石内蔵助が「三平が生きていたら一列に加わるべき者であった」と細川家世話役の堀内伝右衛門に言ったことから薩州の僧岱潤が泉岳寺に明和四年(1767)に墓碑を建てる。戒名は刃道喜剣信士。俗名が書いてなかった為に三平の墓であることがいつしか分からなくなり、講談師が創作した「烈士村上鬼剣伝」の流布と共に村上喜剣の墓となったが、明治になり間十次郎の墓の傍らに寺坂吉右衛門の墓碑を建てる際、刃道喜剣信士は萱野三平であることが「泉岳寺書上義士墓図」により確認された。

俳号と詩について

俳号は涓泉(けんせん)で水間沾徳門下、自編句集「蟾蜍賦」を著すなど赤穂藩内でも名を知られた存在でした。
「落葉見ん人もほつほつ切通」 「春の野や何につられてうはのそら」 「秋風や隠元豆の杖のあと」 「勝尾寺の樋間寒し茨の花」 「難波女や天満の梅に痩たかる」 「ちる花に生前帯や發菩提」 「沙原や水にへりとる夕霞」 「鍬に樽後かたがたの願にて」

三平の出自と経歴など

生年 延宝三年(1675) 家系 本姓 源氏(源頼光から発する摂津萱野郷の郷士の家柄)
没年 元禄十五年一月十四日(1702) 出身地 摂津国萱野村
享年 二十八歳
主君の月命日に自宅で自刃
萱野七郎左衛門重利(元大島伊勢守義金家臣で元禄十五年八月六日七十四歳没、七郎兵衛説あり)
戒名 刃道喜剣信士(泉岳寺) 小満(元禄十四年三月十七日に死去)
兄弟
姉妹
長男 萱野重通(大島伊勢守家用人三百五十石)
次男 萱野七之助(十三歳で病没)
姉二人 こきん(晋稲、吉田家へ)と他の姉(伊丹、俳人北河原好昌妻)
妹二人 おつや(山田、吉田家へ)と他の妹(藤井嘉左衛門妻)
役職 中小姓から馬廻り役 屋敷 赤穂城下
幼名 卯平次 性格 聡明
妻子 独身 辞世の句 「晴れゆくや 日ころ心の 花曇り」

箕面市の萱野三平旧邸の情報

萱野三平旧邸長屋門 大阪府指定史蹟

涓泉邸の画像です
萱野三平旧邸(涓泉邸パンフレットより)

住所と電話番号

大阪府箕面市萱野3丁目10番4号 電話・0727-24-7201

休館日と入館料

休館日・毎週月曜日 入館料・無料

交通アクセス

阪急電鉄石橋駅からバス(JR茨木行き)「萱野三平前」下車

戒名と墓所について

戒名は陽光院洞廊道義居士 墓所は芝東西坊島共同墓地内
光国寺(豊中市庄本町)と新福寺(豊中市二葉町)にも墓があります。

萱野三平旧邸と墓の地図データ(位置情報)

使い方と地図検索サイト接続 グーグル地図 マピオン地図
萱野三平旧邸 34.827728, 135.484198 1 853 853
墓(共同墓地内) 34.825637, 135.484927 1 853 615
元禄赤穂事件関連ページ

事件の年譜 刃傷事件・赤穂開城(その1) 山科隠棲・江戸下向(その2) 困窮生活・討ち入り(その3) 泉岳寺・切腹・遺族(その4) 事件の詳細 刃傷事件・内匠頭切腹(その1) 赤穂開城・仇討ち準備(その2) 吉良邸討入り(その3) 引き揚げ・泉岳寺(その4) 切腹・遺子の処罰(その5) 赤穂城・浅野家・吉良家 赤穂城古写真など 浅野内匠頭長矩 吉良上野介義央

赤穂四十七士と萱野三平

表門隊(23士) 大石良雄 大高忠雄 岡嶋常樹 岡野包秀 奥田重盛 小野寺秀富 貝賀友信 片岡高房 勝田武堯 神崎則休 武林隆重 近松行重 富森正因 間光興 早水満堯 原元辰 堀部金丸 間瀬正明 村松秀直 矢田助武 矢頭教兼 横川宗利 吉田兼定
裏門隊(24士) 赤埴重賢 礒貝正久 潮田高教 大石良金 大石信清 奥田行高 小野寺秀和 茅野常成 木村貞行 倉橋武幸 菅谷政利 杉野次房 千馬光忠 寺坂信行 中村正辰 間光延 間光風 不破正種 堀部武庸 前原宗房 間瀬正辰 三村包常 村松高直 吉田兼亮 不参加 萱野重實

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