村松三太夫高直(赤穂義士)

母に孝養を尽くせと諭すが初志を貫徹

むらまつさんだゆう たかなお

村松三太夫サムネイル

村松喜兵衛の長男

江戸城松の廊下での刃傷事件勃発時は二十六歳の独身で部屋住みの身分、親と同居して江戸に住んでいました。

討ち入り姿村松三太夫の討ち入り姿

家紋:違い扇村松家家紋

石板:赤穂市内村松三太夫の石板

村松家系図村松家家系図

両親と兄弟と従弟

  • 村松九太夫の娘(鉄砲州筑地町在住)
実弟
  • 村松政右衛門二十三歳 小笠原長門守家臣 伊豆大島へ流刑
従弟
  • 村松伝六(屋代越中守家臣)

父親の命令

江戸詰めの父は浅野内匠頭の処遇に大いに憤激し、大石内蔵助は必ず仇討ちの挙に出るであろうと赤穂に行くことを決める。出立の前「生きて母に孝養を尽くせ。と命じる。

部屋住み(仕官前)の身分

気骨のある息子はひそかに後を追い大森、川崎と過ぎて神奈川で声をかけ、許しを得てともに赤穂に赴き義盟に加わります。
再び江戸に戻った三太夫は初め父とともに八丁堀にいましたが、芝源助町に居を移し礒貝十郎左衛門茅野和助らと同居して吉良邸の探索にあたりました。
討ち入りの際は、裏門隊に属し屋内に突入して大いに奮戦しました。

辞世の句

[極楽を断りなしに通らばや弥陀諸共に四十八人]

遺言

分っていません

村松三太夫備忘録
生年
  • 延宝五年(1677)
没年
  • 元禄十六年二月四日
享年
  • 二十七歳
戒名
  • 刃清剣信士
妻子
  • 独身
家系
  • 本姓・藤原氏
出身
  • 武蔵国江戸(播州赤穂説あり)
屋敷
  • 江戸藩邸
役職
  • 部屋住み
禄高
  • 無禄
性格
  • 気節のある人柄
変名
  • 萩野十左衛門
  • 植松三太夫と称し吉良邸の探索に従事
仮寓
  • 芝源助町
  • 礒貝十郎左衛門や茅野和助と同居
  • 無銘 二尺四寸
  • 脇差 国助一尺六、七寸
討入切腹

赤穂四十七士と萱野三平

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