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赤穂義士 大石主税良金の一部始終

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元服を済ませたばかりの主税 大石家は母親の血筋を受けてみな大柄であったとあり、主税も立派な体躯をしていた。仇討ちのため、江戸に向かう前に豊岡の母親を訪ねているが、その時の情景を思い浮かべると堪らなくなる。

赤穂城大手門を出る裏門隊の面々
赤穂義士祭で裏門隊吉田忠左衛門に続く主税
大石主税の家紋です
右二つ巴
大石主税の銘板です
主税の銘板
大石主税の家系図です
大石一族全体の家系図

主税の特筆事項

略年譜 天神祭を見る大石主税の画像です
  • 元禄六年(1693)浅野内匠頭長矩にお目見えし守り刀を賜る
  • 元禄十四年五月十一日(1701)母や弟妹と赤穂を発ち船で大坂に向かう
  • 元禄十四年六月二十五日大坂で学友の藤江熊陽と天神祭を見物している
  • 元禄十四年十二月十五日に元服し義盟に加わる
  • 元禄十五年九月二十四日(1702)に間瀬久太夫大石瀬左衛門茅野和助と江戸入りする
主税の学友

松之丞(主税)八歳の時。十三歳の少年だった後の藤江熊陽(ゆうよう)忠康と矢頭右衛門七の二人。忠康は二十一歳の時に伊藤仁齋の門に入る。古儀古学を極めて隣藩竜野脇坂家の侍講となって西播にその名をうたわれた。藤江熊陽の墓は義士にもゆかりのある永應寺にあります。

豊岡に母を訪ねて 何度読んでも・・・

石束家の記録に「もとどりの上にまで埃を浴びて・・」とある。
大石主税は江戸でこの事を小野寺十内に話し、その内容が妻「丹」への手紙から分かっている。母に会って「蒲団を通してほのかに母の体の温みがかよってきた様におもわれまする。しかし眼を明けて母に気まずい思いをさせてはならじと一心に瞼を閉じておりましたが、まなじりから涙がにじみ出て仕方がありませんでした」とあり「あふ時はかたりつくすおもへども別れとなればのこる言の葉」はこの時の詩とされる。

討ち入りのとき 率先して抜け穴を調べる

裏門隊長として攻め入り屋外の敵を討ち取る任にあたった。その時同志の一人が大きな穴を見つけて「これこそ日頃聞いておる抜け穴だろう」と覗き込むが、暗くて中の様子が分からない。主税はそれをみて「かような時こそ少年相応の役廻り」といいながら身を躍らせて飛びこみ調べた。その剛胆さは、後に主税が松平邸へお預けになった時、木村岡右衛門がこの時のことを語って「我ら一党は何れも死を決した仲間であるから命の惜しかろう筈もない。然るにあの際躊躇したことを思えば恥ずかしい。さすがは主税殿、ただただ感服の外はない」と嘆称したという。(赤穂義士事典)

主税は江戸の人気者

お預け中の話として「堀内覚書」に「道すがら駕舁(かごかき)共申候は、四十六人の衆は昔の弁慶、忠信にはましたる人柄、男振までそろひ大男にて、就中(なかんずく)大石主税殿と申候は、若年に御座候へども大男大力にて其夜も大長刀にて弁慶にもまさりたると承候と申候。誠に心なき其日ぐらしの駕舁日雇のものまで奉感候事」と伝右衛門が話したことが記されている。(赤穂義士事典)

辞世の句 どれが真なのか
  • 「あふ時はかたりつくすおもへども別れとなればのこる言の葉」
    元禄十五年十二月十三日付、小野寺十内より妻丹宛て書状で大石主税に書かせた短冊。(赤穂書翰実録)
  • 「極楽の道は一筋君と共に阿弥陀を添えて四十八人」
  • 「死出の旅手に手を取って行くからは六の衢の道しるべせん」*衢ちまた (江赤見聞記)
  • 「江戸の地にしばしやすらふかひもなく君のためとて捨つる身なるを」(君臣概観)
  • 「溝ばたの藪にはもれぬ野梅かな」(末の春)

主税の出自と経歴など

生年 元禄元年(1688) 家系 大石内蔵助の頁に記載
没年 元禄十六年二月四日 出身地 播州赤穂
享年 十六歳 大石内蔵助良雄
戒名 刃上樹剣信士(泉岳寺)
超倫院刃上樹剣信士(花岳寺)
母親と弟妹は大石内蔵助その3に記載
禄高 無禄 弟妹
役職 部屋住み 親戚 奥野将監 ・ 進藤源四郎 ・ 小山源五右衛門 ・ 大石孫四郎
屋敷 赤穂城内 大石邸長屋門 変名 垣見左内 ・ 大星力弥良春(仮名手本)
幼名 松之丞。 元禄十四年十二月十五日元服 仮寓所 山城国山科 ・ 京都四条道場 ・ 江戸日本橋石町三丁目小山屋弥兵衛店
性格 不詳 討入守備 裏門隊長 吉良邸討入り時の詳細
共国 二尺二寸五分 ・ 脇差 広重一尺一寸 お預け所 伊予松山藩 松平隠岐守定直 赤穂四十六士の切腹
雅号 不詳 切腹場所 伊予松山藩 松平隠岐守定直中屋敷
妻子 独身。赤穂藩士山岡覺兵衛の娘が許嫁との説がある 介錯人 波賀清太夫朝栄
辞世の句 上に記載 遺言 不詳
赤穂四十七士と萱野三平

表門隊(23士) 大石良雄 大高忠雄 岡嶋常樹 岡野包秀 奥田重盛 小野寺秀富 貝賀友信 片岡高房 勝田武堯 神崎則休 武林隆重 近松行重 富森正因 間光興 早水満堯 原元辰 堀部金丸 間瀬正明 村松秀直 矢田助武 矢頭教兼 横川宗利 吉田兼貞
裏門隊(24士) 赤埴重賢 礒貝正久 潮田高教 大石良金 大石信清 奥田行高 小野寺秀和 茅野常成 木村貞行 倉橋武幸 菅谷政利 杉野次房 千馬光忠 寺坂信行 中村正辰 間光延 間光風 不破正種 堀部武庸 前原宗房 間瀬正辰 三村包常 村松高直 吉田兼亮 不参加 萱野重實

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