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赤穂義士 小野寺幸右衛門秀富の一部始終

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大高源五が実兄 母親が小野寺十内の姉なのが縁で小野寺家の養子になる。多川九左衛門の家系からは義士七名を輩出。江戸では養父の着物の繕いをするなど孝行息子であったことが分かっている。

小野寺家の家紋です
家紋 から花
小野寺幸右衛門の詩の銘板です
秀富の銘板
小野寺幸右衛門の家系図です
家系図

幸右衛門の特筆事項

小野寺幸右衛門の画像です実父と養父

幸衛門は大高兵左衛門の次男に生まれたが、母の貞柳尼が小野寺又八の娘で、京都留守居役小野寺十内の姉だったことから嗣子がいなかった十内、丹夫妻の養子となる。

孝行息子

父親の繕いをする! 江戸に潜んでいる時、よく老父、十内の繕いものをしていたことが丹への手紙に載っている。まさに豪と優をそなえた自慢の孝行息子である。

遺言 母の後事を懇願

貞柳尼のことを赤穂の花岳寺に頼み、義母、丹のことを「一人で居ること故偏に頼む」とて義父母の歌匠である京都の兼沢検校(けんぎょう)や浅野家御用である伏見の大塚屋小右衛門に十二月七日付の手紙で懇願している。

討入時の活躍 弓の弦を切る

玄関から奥へ進んだ時、半弓が沢山並べてあるのを見て咄嗟の判断で弦を切り払った。その行為が他の浪士やお預けの家中からも高く評価された。

幸右衛門の出自と経歴など

生年 延宝四年(1676) 家系 本姓 ・ 藤原氏
没年 元禄十六年二月四日 出身地 播州赤穂
享年 二十八歳 実父 大高兵左衛門
養父 小野寺十内秀和
戒名 刃風颯剣信士 貞柳尼(小野寺又八の娘)
禄高 無禄 兄弟 大高源五(実兄)
役職 部屋住み 親戚 岡野金右衛門間瀬久太夫間瀬孫九郎中村勘助
屋敷 京都浅野藩邸 変名 仙北又助
幼名 不詳 仮寓所 京都新三本木 ・ 江戸新麹町四丁目和泉屋五郎兵衛店に中村勘助、岡野金右衛門、 間瀬久太夫、岡島八十右衛門等と同居の後、父十内の寓居に移る
性格 優と豪を兼ね備える 討入守備 表門隊突撃 吉良邸討入り時の詳細
無銘 尺不明
脇差 無銘尺不明
お預け所 長門府中藩 毛利甲斐守綱元 赤穂四十六士の切腹
雅号 漸之(ざんし)貞作門 切腹場所 毛利甲斐守綱元下屋敷
妻子 独身 介錯人 田上五左衛門
辞世句 「今は早 言の葉草もなかりけり なにのためとて 露むすぶらん」
「今朝もはや いふ言の葉もなかりけり なにのためとて 露むすぶらん」の二説がある。(遺言不詳)
赤穂四十七士と萱野三平

表門隊(23士) 大石良雄 大高忠雄 岡嶋常樹 岡野包秀 奥田重盛 小野寺秀富 貝賀友信 片岡高房 勝田武堯 神崎則休 武林隆重 近松行重 富森正因 間光興 早水満堯 原元辰 堀部金丸 間瀬正明 村松秀直 矢田助武 矢頭教兼 横川宗利 吉田兼亮
裏門隊(24士) 赤埴重賢 礒貝正久 潮田高教 大石良金 大石信清 奥田行高 小野寺秀和 茅野常成 木村貞行 倉橋武幸 菅谷政利 杉野次房 千馬光忠 寺坂信行 中村正辰 間光延 間光風 不破正種 堀部武庸 前原宗房 間瀬正辰 三村包常 村松高直 吉田兼定 不参加 萱野重實

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