田淵氏庭園に行ってきました!

三崎山の傾斜地を巧みに利用した建物と庭園

田淵氏庭園について

田淵氏庭園サムネイル

11月の吉日二日間限定で一般公開

頂いた資料によりますと田淵家は延宝元年(1673)より当地に住み「川口屋」の屋号で塩田・塩問屋・塩廻船業を営み、最盛期の文化・文政期(1804-1830)には約106町歩の塩田を所有し、日本最大の塩田地主になっています。

田淵家には当時の赤穂藩主がたびたび屋敷を訪れ、食事や茶などで手厚いもてなしをしたことが「殿様御成細記」に残されています。

田淵氏庭園茶室

春陰斎(茶室)上の画像

五代目 九兵衛正武(1712-1796)が京の茶匠久田宗参(1750-1800)に依頼して明和元年(1764)に造ったと言われています。

庭園の中心になる茶席で、にじり口を入ると相伴席があり、屋根には明り取りの突き上げ窓を備えるなど格式のあるものになっています。

書院

田淵家書院

六代目 九兵衛政俊が1792年に赤穂藩主を迎える上段の間を備えた書院を造り、翌年に池を配置した茶趣あふれる庭園を造ったと言われています。

襖は狩野派の画家の筆になるもので、上段の間には藩主の書が飾られているとのことでした。

明遠楼

明遠楼

四代目 市兵衛春元が宝暦年間(1751-1764)に新築、宴席であり金箔の上に多賀城の碑の拓本や、金泥で書いた書が貼られています。

突上戸を開けるとと塩田跡と瀬戸内海が一望できる見晴らしを備えていました。

参考:田淵氏庭園パンフレット

団体での見学等連絡先:「赤穂パークホテル tel 0791-43-8000」

見学後の独り言 御崎地区の平坦な地は塩田で占められ、人々の暮らしは三崎山の山裾から山頂にかけて営まれていました。豪商の田淵家も例外ではなく山すそから中腹にあり決して広い庭園ではありませんでした。傾斜地を巧みに利用した建物と庭園は私の庭園の概念とは異なり新鮮でした。

■ 赤穂市立田淵記念館

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