独り言市立歴史博物館の復元模型や間取り図をみても、本丸内は複雑な構造をしていました。天守台からは赤穂城全体が俯瞰でき、北の砦である雄鷹台山などが連なる山まで眺められ「天守台からの眺め」お勧めです。
二の丸山鹿素行座像
赤穂城の玄関口、大手門は東面する高麗門と南面する櫓門で構成された雄大な城門でした。大手隅櫓は大手門の北にある二重櫓で東西四間半、南北三間半の基底部を持ち、大手門を監視する役割と大手門を防備する役割をを担っていました。明治初期に失われたものを昭和30年に大手門と大手隅櫓が復元されました。
元禄赤穂事件が起きた当時、三の丸には大石内蔵助など重臣二十余士の屋敷がありました。明治維新を迎え赤穂義士を讃える気運が高まり家老の藤井又左衛門と大石内蔵助の屋敷跡を中心に大石神社が創建されました。大石家長屋門の内側及び庭園を大石神社入館券で見ることができます。
大石神社 大石邸長屋門
赤穂城の設計をした家老、近藤三郎兵衛正純の子。源八は父の跡を継ぎ軍師として千石の番頭でした。
屋敷は間口三十三間、奥行三十一間と広大で、屋敷跡には長屋門の三分の一が残されており、平成10年(1998)4月に赤穂市指定文化財に指定され、現在は土日・祝日には無料で建物内部が公開されています。
川口門とも呼ばれた清水門は無血開城した大石内蔵助が最期に退出した門として知られます。当時、熊見川に面した門外には米蔵、薬煙場、番所などがあり、米蔵の跡に赤穂市立歴史博物館が建てられました。平成14年(1991)に門前面の橋と石垣の発掘調査が行われました。
二の丸の南端にあり海や干潟に面した門で物資の搬入門でした。周囲は船の出入りの為に城壁を内側に大きく引き込んだ緩やかな曲線が特徴です。門の前面には船着きの雁木が設けられ、波よけの突堤が城壁から突出していました。 参考史料 「赤穂城史蹟名勝の探訪ガイド」
赤穂城跡公園(花見広場)は元禄桜苑とも呼ばれ、二の丸庭園の南西部にあり西仕切り門で区切られていまます。発掘調査で池泉がみつかり復元され、春には二の丸庭園の池泉で屋形船遊覧が催されます。花見広場には元禄期の桜など十八種、200本余があり市民の憩いの場になっています。
住所 赤穂市上仮屋 地図で確認
mapcode 541 587 452 開閉門時間本丸と二の丸庭園は9時から16時で16時30分閉門終日閉門日本丸と二の丸庭園は12月29日から1月4日 | 近くの観光スポット市立歴史博物館 大石神社 大石邸長屋門 花岳寺 息継ぎ井戸 萬福寺 随鴎寺アクセスレンタサイクルJR赤穂・坂越・有年各駅に有り |
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