赤穂義士のふるさと 赤穂城跡

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忠臣蔵のふるさと赤穂城は 浅野長直が慶安元年(1648)から13年をかけて築いた変形輪郭式の平城。浅野家三代藩主内匠頭長矩の江戸城松の廊下での刃傷事件により、元禄十四年(1701)9月に三万三千石で永井家(永井伊賀守直敬)へ、宝永三年(1706)には二万石で森家(森和泉守長直)に移り12代165年を経て明治に至ります。駐車場や周辺の見所、最寄り駅などのアクセス情報、レンタサイクルの情報はページの後半に記載しています。

大手隅櫓(すみやぐら)と大手門赤穂城大手門と大手隅櫓

大手門と大手隅櫓赤穂城大手門

赤穂城の玄関口、大手門は東面する高麗門と南面する櫓門で構成された雄大な城門でした。
大手隅櫓は大手門の北にある二重櫓で東西四間半、南北三間半の基底部を持ち、大手門を監視する役割と大手門を防備する役割をを担っていましたが明治初期に失われたものを昭和30年に高麗門のみが隅櫓と共に復元されました。

本丸高麗門・櫓門赤穂城本丸櫓門
赤穂城本丸には高麗門(こうらいもん)と櫓門(やぐらもん)の二つの門があり本丸の表玄関をなしています。
二つの門を含む本丸は明治六年発布の廃城令後に取り壊されて旧制赤穂中学校となり第二次大戦後は県立赤穂高校に生まれ変わりましたが、昭和後期からの発掘調査や絵図などをもとに、平成四年から四年の歳月をかけて復元されました。 本丸高麗門・櫓門のページ
本丸庭園赤穂城本丸庭園
本丸の大部分は建物が占め、御殿は表・中奧・奧から構成され、表御殿で政務を行い、中奥は藩主の私的な場、奧は女中達の部屋として使われました。発掘調査では御殿の遺構は検出されませんでしたが、永井藩時代の「御殿の間取り図」が発見されて御殿の様子が分かるようになり、この間取り図を礎石に刻んで平成元年に復元、庭園は発掘調査を基に再現され、平成14年に旧赤穂城庭園として国の名勝に指定されています。

赤穂城跡案内図 赤穂城跡スライド写真赤穂城案内図

二の丸庭園赤穂城二の丸庭園

二の丸門跡の右手には浅野藩時代、藩主長直に重用された大石頼母助良重の屋敷があり、良重は大石内蔵助の大叔父にあたります。山鹿素行が赤穂に配流された際、頼母助屋敷の一角で8年余を過ごしています。ここには「錦帯池」なる大規模な池泉があり東は大石頼母助屋敷の裏手から西仕切にまで及び大名庭園の重要な役割を果たしています。現在は復元されて無料で公開されています。

近藤源八宅跡長屋門近藤源八宅跡
赤穂城の設計を担当した家老、近藤三郎兵衛正純の子、近藤源八正憲の長屋門です。源八は父の跡を継いで甲州流軍学を修め、浅野家の軍師として千石の番頭でした。その屋敷は間口三十三間、奥行三十一間の広大なもので、屋敷跡には道路に面して長屋門の三分の一が残されており、平成10年(1998)4月に赤穂市指定文化財に指定され、現在は土日・祝日には無料で建物内部が公開されています。
赤穂大石神社赤穂大石神社
元禄赤穂事件が起きた当時、三の丸には大石内蔵助など藩の重臣二十余士の屋敷がありました。明治維新を迎え赤穂義士を讃える気運が高まり家老の藤井又左衛門と大石内蔵助の屋敷跡を中心に大石神社が創建されました。祭神として歴代赤穂藩主家と赤穂四十七士に加え萱野三平が祀られ、今なお多くの人々の参詣が絶えない、赤穂を代表する名所になっています。 赤穂大石神社のページ

江戸・明治期の赤穂城

赤穂城跡の情報

住所
  • 赤穂市上仮屋
料金
  • 入園無料
時間
  • 本丸・二の丸庭園 9時から16時(閉門16:30)
  • 本丸・二の丸庭園以外は無制限
休園
  • 本丸・二の丸庭園 12月29日から1月4日
  • 本丸・二の丸庭園以外は無休
鉄道高速
  • 山陽道赤穂ICから4km
レンタサイクルと無料駐車場赤穂城をGoogleマップで確認

赤穂城跡公園(水手門から花見広場)赤穂城跡公園

地図位置情報

位置情報の使い方Google マップ地図 Mapion
赤穂城大手門34.749022, 134.389465541 587 452
大石神社駐車場34.748246, 134.388076541 586 387
歴史博物館駐車場34.748092, 134.390581541 587 335
赤穂大石神社駐車場大石神社駐車場
大石神社駐車場トイレ大石駐車場トイレ
赤穂歴史博物館駐車場赤穂市立歴史博物館駐車場

周辺の見所

市立歴史博物館義士ゆかり 大石神社大石内蔵助邸長屋門義士ゆかり 花岳寺
刃傷事件 息継ぎ井戸義士ゆかり 萬福寺義士ゆかり 随鴎寺市立民俗資料館

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