坂越村の行政や商業の事務を執る会所
「坂越」という地名

坪庭
景観形成指定地区
すでに延暦十二年(793)の古文書にも知名がありました。弧を描く坂越湾と生島が自然の防波堤となる天然の良港として古来より栄え、江戸時代には西回りの航路の港として多くの廻船を擁したほか、鯔漁の産地としても知られました。坂越地区には和風の建築物が多く残り、風情のある町並みを今も見ることができます。
建物の歴史
正門と殿様の寝所
赤穂藩の茶屋も兼ねる
旧坂越村の行政や事務をとるための会所として、天保三年(1832)に完成。以降、明治時代までその役割を果たすと同時に、赤穂藩の茶屋としての役目もあり、二階には藩主専用の部屋「観海楼」があり一段低くなった小部屋の窓越しに当時、ま下まで迫った坂越湾を眺めることができる構造でした。平成4年1992年4月30日に「旧坂越浦会所」として赤穂市有形文化財(建造物)に指定のあと、詳細な建築調査を行い解体復元工事の結果、平成6年(1994)8月1日に完成しています。平成30年日本遺産北前船寄港地の構成文化財の一つとして「旧坂越浦会所」が追加認定されています。