
赤穂市立歴史博物館
大石内蔵助が活躍した時代には米蔵が建ち並んでいました。場所は赤穂城清水門の横で、平成元年(1989)に完成しています。
多くの人々の心に刻まれた赤穂義士と江戸期に国内市場の多くを占めた赤穂塩など、文字通り赤穂の歴史を紹介する展示館です。
1階 赤穂の塩
塩廻船と館内風景

赤穂は古くから塩の産地で江戸時代には入浜塩田による製塩法が確立して栄えました。製塩用具や塩田の資料、復元塩廻船などが展示され、当時の過酷な作業を知ることができます。
元禄十四年当時の赤穂塩
- 塩田面積 124町歩(372000坪)
- 生産量 678000俵(5斗俵)
- 販路とシェア 大坂40% 江戸30%
浅野藩時代の領地と塩田 塩づくり体験独り言赤穂の塩は5斗で重量は12貫だったそうです。1貫=3.75Kg、なんと俵当たりの重量は45kg。この俵を炎天下一日に何十個も運んだ浜男たちに思いを馳せ、当時使用した数々の製塩道具を見て過酷な労働を知り、先人のご苦労があって今の豊かな日本があるのだと思いました。
2階 赤穂城と城下町と赤穂義士
出陣する赤穂義士(義士祭)
赤穂といえば忠臣蔵。元禄十四年に
浅野内匠頭の江戸城松の廊下での刃傷事件により赤穂浅野家は断絶。旧家臣四十七士の
吉良邸討ち入りから切腹に至る史料を展示し日本有数の忠臣蔵浮世絵の収蔵品を展示。
ここには映写室があり赤穂事件の概要をまとめた映像と仮名手本忠臣蔵の上演風景の2種類を常時上映しています。
2階 赤穂上水道
出土した上水道配管類
池田家の赤穂郡代であった垂水半左衛門により熊見川(現千種川)に取水口(切山隧道)の掘削が1614年に始まり3年後に赤穂城内と
城下町の各戸へ給水する上水道が完成。赤穂の旧上水道は約7km上流の河川水を水源に、緻密は勾配計算によるまれな水道で、これが日本三大上水道の一つと称される所以。ロンドンの上水道(1619)よりも古く歴史的にも貴重で、近代上水道が施設される1944年まで300年以上にわたり使用され続けました。

戸嶋桝(マス)兵庫百山西播磨花の郷「雄鷹台山」登山口には旧上水道の「戸嶋桝」があります。戸嶋桝は加里屋・塩屋・新田へと分水する分岐点であり、水を浄化する役目も果たし現在でも農業用水として使われています。

町屋井戸説明板取水口から導水路で運ばれてきた水は、「こし場」で配水管に分岐され、城下町と赤穂城内に送られていた。この町屋井戸はさらに給水管によって、各戸に給水されていた。赤穂市立民俗資料館

歴史博物館駐車場

大石神社駐車場
赤穂市立歴史博物館メモ住所 赤穂市上仮屋916-1 地図で確認 mapcode 541 587 275 使い方 緯度経度 34.747365, 134.390455 | 料金 大人200円・小中学生100円 電話 0791-43-4600 時間 9時-17時 休館 水曜日(祝日は翌日) 公式 赤穂市立歴史博物館 |
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