赤穂藩主と赤穂義士の菩提寺
独り言本堂右側の壁に吉良家の家系図が掲げられているのを見つけた。五万石の大名浅野家は断絶、47人の元赤穂藩士が全てを投げうって追い求めた仇敵のである。仏門の懐の深さを知るできごとでした。
この山門は赤穂城西惣門(塩屋門)を花岳寺二十一代仙珪和尚が明治六年に購入移築したもの。高麗門の形式をとり、素朴武骨で武家門の風格を備えて城郭付属建築物として史的価値の高い門と言えます。
赤穂浅野家、森家歴代藩主の墓があります。赤穂義士三十七回忌に建てた四十六士の墓があり、五十回忌に建てた江藤熊陽の撰文で有名な「忠義塚」があります。
初代の松は昭和二年(1927)に松枯れし現在は二代目。初代は元禄四年(1691)に相生村から移植、樹齢は310年の大木でした。大石内蔵助が赤穂を去る時に名残りを惜しんだことが名の由来です。
赤穂浅野家二代藩主長友が、父長直の為に奉納。赤穂四十六士の切腹を知った町民が昼夜鐘を撞き尽くして鳴らなくなり、その後改鋳されて今は鳴っていることから、赤穂七不思議になっています。
殿の勅使接待の労苦を慰めるべく、大石内蔵助は赤穂で茶を点じて献じようとした時に釜の縁が離れた。江戸城松の廊下での刃傷事件を知り花岳寺に納めたとされ、赤穂七不思議になっています。
境内駐車場
mapcode 541 587 845 使い方
緯度経度 34.752718,134.390227
息継ぎ井戸駐車スペース
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緯度経度 34.75283,134.391908
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