赤穂浅野家二代藩主夫人の菩提寺

赤穂浅野藩二代藩主浅野長友の夫人戒珠院の菩提寺として知られ、元禄十五年(1702)の
赤穂城開城に際し、その御墓料として田地四反余が寄進されています。
大石内蔵助良雄の寄進と伝えられる稲荷神社と石灯籠があります。赤穂浅野第二藩主夫人波知の方「戒珠院殿理庵栄智」へのお参りは自由です。
赤穂義士会説明板

照満山宝池院大蓮寺当寺は約五百年前、乗蓮社台誉上人朝阿察道和尚(天文元年(1532)寂)により開かれた。当初は現在地ではなく、現JR播州赤穂駅北方の山麓にあったといわれる。現在地に移った時は定かではないが、藩主池田輝興時代(寛永八年~正保二年(1631-1645))の城下絵図には現在地に記されている。
第四世楊蓮社称誉上人務白西碩和尚(元禄四年寂)の代に
赤穂浅野第二代藩主夫人波知の方(戒名・戒珠院殿理庵栄智)の菩提寺となった。波知の方は、志摩国鳥羽藩主内藤忠政侯の娘として生まれ、浅野長友侯に嫁いだ。内藤家の宗旨が浄土宗であったため、当寺を菩提寺としたのである。波知の方は、寛文十二年(1672)十二月二十日江戸にて寂。長子長矩五歳の時であり、短い生涯の薄幸の女性であった。
浅野家断絶後の当寺は、藩主森家の家臣を中心とした浄土念仏信仰の菩提寺として現在に至っている。
本堂は、第九世晋誉上人の代、寛政年間に建立されたものである。
境内には、戒珠院殿の墓、大石内蔵助寄進の稲荷神社と石灯篭、当寺で得度された浄土宗総本山知恩院第七十八世門跡野上蓮海上人の墓、儒学者赤松蘭室師の墓等がある。 赤穂義士会 (転載)