大石内蔵助邸正門(元禄時代の建物)

屋敷はなんと1900坪!
赤穂浅野家筆頭家老
大石内蔵助の一家三代が五十七年にわたり住んでいた屋敷の正門です。江戸城松の廊下での
刃傷事件勃発を知らせる
早水藤左衛門と
萱野三平が叩いたのもこの門です。安政三年に大修理が行われ大正十二年に国の史蹟に指定されました。
独り言この長屋門は城内に残る数少ない江戸時代の建築物のひとつ。明治10年代に城は取り壊され、民間に払い下げられたこともあって、2005年頃まで、長屋門の向かいに民家があり土産物を売っていた。今も三の丸の一部にビニールハウスの農地が残り、かっての城内町の名残をとどめて?います。
赤穂義士会説明板
希少建築物
この門は、浅野家筆頭家老大石内蔵助の一家三代が五十七年にわたり住んでいた大石屋敷の正面長屋である。
間口約26.8メートル奥行約4.8メートル建物で、屋根瓦には双っ巴の大石家の定紋がついており、元禄の昔に思いを馳せ、内蔵助の偉業を偲ぶ唯一の建物となっている。
かっては、内蔵助と主税の親子が朝夕出入りし、又元禄十四年三月主君の刃傷による江戸の悲報を伝える早打ちがたたいたのもこの門である。
長屋門表正面

長屋門表正面内側
修理の歴史
安政三年(1856)に大修理が行われ、大正十二年国の史蹟に指定された。更に昭和三十七年に屋根の大修理を行ったが老朽甚だしく、昭和五十二年十一月から国、県及び市の負担により、総工費3138万余円をかけて全面解体修理を行い、昭和五十三年十月末に復元完了した。 赤穂義士会(転載)駐車場と地図位置情報
赤穂城と同じ場所になります。駐車場は
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大石神社駐車場

歴史博物館駐車場
大石邸長屋門備忘録住所電話料金 | 地図位置情報  mapcode 541 587 420 緯度経度 34.748607, 134.388780 |
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