実家は徳川恩顧の家柄で亡君への忠誠と仲間への義理の板挟みで苦悩の末に自刃。
遺言書は大石内蔵助に同志だと言わしめた内容で、辞世の句には自殺直前の心境が吐露され、赤穂市の大石神社には義士四十七士と共に祭神として祀られている。
家紋:横木瓜五つ目
[大石内蔵助殿、大野九郎兵衛殿 態一筆新達候。今十四日勅答に付登城被成、於殿中吉良上野介殿を内匠頭様一太刀御切付之処目付衆取分被新、内匠頭様別条無之由に付右之段絶言語事候。依之水野監物殿御目付近藤平八郎殿、天野伝四郎殿、家中火の許急度申付騒動不仕候様にと御老中被仰付候由に而、此許屋敷へ被参候。
夫に付其元家中者共城下之町騒動不仕様に急度可被申付候。且又組頭共へも我等申候由右之段可被申聞候。其外物頭諸役人へも可被申渡候。各中ケ間少候間両人之内罷下候儀必無用可被仕候為其如此候 恐々 三月十四日 浅野大学書判] 早籠の仕組みと料金
三平は亡君浅野内匠頭への忠節、起請文を交わして仇討ちを誓った仲間への義理と事情を知らぬ父が薦める他家への仕官との板挟みで進退極まり苦悩の末に自決を決断するに至る。
実家:萱野屋敷
陽が高く昇っても起きてこない三平を案じた家人が臥所に入り発見した。
大石内蔵助宛 [年始の御祝意として先達て愚礼を呈し奉り候。然は旧冬来吉田忠左衛門、近松勘六申し合せ当春江戸へ罷り下るべくと存じ奉り候ところ★愚父七郎左衛門儀その主意を知らず、強くこれを制止候。最も本意を申し候は却って喜悦仕るべくとは存じ候へども、お手前様え差し上げ置き候神文の手前も御座候へばたとい父子にてもその儀口外仕りがたく、君父忠孝の間においていさゝか当惑仕り、之により自殺仕り候。最も吉田、近松へ別紙を以て申さず候間、お手前様より然るべく奉り候]
独り言 起請文は前書きと神文からなる。「前書き」には合意事項の厳守を誓約、「神文」は寺社発行の牛王宝印紙に神仏の名を列記したもので両紙に署名し血判した。他人は勿論、親子・家僕に至るまで口外しないと誓う。三平も神文誓紙の手前、父にも事情を話せず自ら命を絶ったのであろう。涙
三平浪人姿
[落葉見ん人もほつほつ切通] [春の野や何につられてうはのそら] [秋風や隠元豆の杖のあと] [勝尾寺の樋間寒し茨の花] [難波女や天満の梅に痩たかる] [ちる花に生前帯や發菩提] [沙原や水にへりとる夕霞] [鍬に樽後かたがたの願にて]
生年
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萱野三平旧邸(パンフレットより)
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