萱野三平重實(中折れの赤穂浪士)

かやのさんぺい しげざね

萱野三平サムネイル江戸城松の廊下での刃傷事件で浪人となり、ふる里に帰ります。実家は徳川恩顧の家柄で亡君への忠誠と仲間への義理の板挟みで苦悩の末に自刃。遺言書は大石内蔵助に同志だと言わしめた内容で、辞世の句には自殺直前の心境が吐露され、赤穂市の大石神社には義士四十七士と共に祭神として祀られている。

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遺言と辞世の句 泉岳寺と戒名 俳諧と俳号

家族と家系図と家紋

家系図家系図:萱野三平(戻る)

横木瓜五つ目萱野家家紋

長男次男

萱野家の先祖は源頼光で頼光の後裔左京太夫頼益が右大将頼朝のとき、摂津萱野郷を賜ってのち代々ここに住み、萱野を姓とした。三平の父は七郎左衛門重利で旗本大島出羽守に仕え恒重の三男で重次の弟。

仕官には二説がある

三平浪人姿浪人姿の萱野三平

藩存亡の危機 刃傷事件発生!

赤穂への早籠第一便使者となる!

刃傷事件発生当時、江戸在府中で早水藤左衛門と共に浅野大学の書状を持って赤穂に急を知らせる。
[大石内蔵助殿、大野九郎兵衛殿 態一筆新達候。今十四日勅答に付登城被成、於殿中吉良上野介殿を内匠頭様一太刀御切付之処目付衆取分被新、内匠頭様別条無之由に付右之段絶言語事候。依之水野監物殿御目付近藤平八郎殿、天野伝四郎殿、家中火の許急度申付騒動不仕候様にと御老中被仰付候由に而、此許屋敷へ被参候。
夫に付其元家中者共城下之町騒動不仕様に急度可被申付候。且又組頭共へも我等申候由右之段可被申聞候。其外物頭諸役人へも可被申渡候。各中ケ間少候間両人之内罷下候儀必無用可被仕候為其如此候 恐々 三月十四日 浅野大学書判] 早籠の仕組みと料金

仕官か仇討か・忠と孝の板挟みで自殺

萱野家は代々大島家の家臣で一族の中に紀州家で槍奉行を務める者がおり、一方吉良家も将軍家、紀州家と血縁関係がある家柄。
三平は亡君浅野内匠頭への忠節、起請文を交わして仇討ちを誓った仲間への義理と事情を知らぬ父が薦める他家への仕官との板挟みで進退極まり苦悩の末に自決を決断するに至る。

自害と切腹刀

実家:萱野屋敷萱野屋敷

元禄十五年一月十四日(長矩の月命日)に自室で自刃する。切腹前夜は父や兄嫁と談笑の一時を過ごして自室に戻り、暁近く主君の墓所を遙拝する姿で一尺九寸二分備中国水田国重作の脇差を腹に突き立て壮烈な死を遂げる。
陽が高く昇っても起きてこない三平を案じた家人が臥所に入り発見した。

遺言書

四十八番目の義士に相応しい内容

大石内蔵助宛 [年始の御祝意として先達て愚礼を呈し奉り候。然は旧冬来吉田忠左衛門近松勘六申し合せ当春江戸へ罷り下るべくと存じ奉り候ところ愚父七郎左衛門儀その主意を知らず、強くこれを制止候。最も本意を申し候は却って喜悦仕るべくとは存じ候へども、お手前様え差し上げ置き候神文の手前も御座候へばたとい父子にてもその儀口外仕りがたく、君父忠孝の間においていさゝか当惑仕り、之により自殺仕り候。最も吉田、近松へ別紙を以て申さず候間、お手前様より然るべく奉り候]

辞世の句

[晴れゆくや 日ころ心の 花曇り]

独り言起請文は前書きと神文からなる。「前書き」には合意事項の厳守を誓約、「神文」は寺社発行の牛王宝印紙に神仏の名を列記したもので両紙に署名し血判した。他人は勿論、親子・家僕に至るまで口外しないと誓う。三平も神文誓紙の手前、父にも事情を話せず自ら命を絶ったのであろう。涙

泉岳寺の墓

萱野三平の墓泉岳寺:萱野三平(戻る)

大石内蔵助が「三平が生きていたら一列に加わるべき者であった」と細川家世話役の堀内伝右衛門に言ったことから薩州の僧岱潤が泉岳寺に明和四年(1767)に墓碑を建てる。

戒名:刃道喜剣信士

俗名が書いてなかった為に三平の墓であることがいつしか分からなくなり、講談師が創作した「烈士村上鬼剣伝」の流布と共に村上喜剣の墓となったが、明治になり間十次郎の墓の傍らに寺坂吉右衛門の墓碑を建てる際、刃道喜剣信士は萱野三平であることが「泉岳寺書上義士墓図」により確認された。

俳諧と俳号と自筆の手紙

俳号:涓泉(けんせん)

水間沾徳門下で句集「蟾蜍賦」を著すなど赤穂藩内でも名を知られた存在。
[落葉見ん人もほつほつ切通] [春の野や何につられてうはのそら] [秋風や隠元豆の杖のあと] [勝尾寺の樋間寒し茨の花] [難波女や天満の梅に痩たかる] [ちる花に生前帯や發菩提] [沙原や水にへりとる夕霞] [鍬に樽後かたがたの願にて

自筆の手紙発見!

自筆の手紙自筆手紙:萱野三平(戻る)

相生市で見つかった古文書の一通が萱野三平自筆の手紙だと平成二十五年に赤穂市教育委員会が発表。神崎与五郎宛で、文中には子葉(大高源五の俳号)の名もあり俳諧を通じた三人の交流ぶりがうかがえる内容で画像の左下が花押です。
萱野三平備忘録
生年
  • 延宝三年(1675)
没年
  • 元禄十五年一月十四日(1702)
享年
  • 二十八歳
幼名
  • 卯平次
性格
  • 聡明
妻子
  • 独身
家系
  • 本姓 源氏
  • 源頼光から発する摂津萱野郷の郷士の家柄
出身
  • 摂津国萱野村
屋敷
  • 赤穂城下
役職
  • 中小姓から馬廻り役
禄高
  • 十三両三人扶持

箕面市の萱野三平旧邸長屋門

大阪府指定史蹟

萱野三平旧邸萱野三平旧邸(パンフレットより)
マップコード使い方

住所と電話番号
大阪府箕面市萱野3丁目10番4号 電話・0727-24-7201
mapcode 1 853 853
緯度経度 34.827728, 135.484198
休館日と入館料
休館日 月曜日(月祝日は火曜日) 入館料・無料
アクセス
阪急電鉄石橋駅からバス(JR茨木行き)「萱野三平前」下車
戒名と墓
戒名墓所墓所墓所

赤穂四十七士と萱野三平

表門隊(23士)大石良雄 大高忠雄 岡嶋常樹 岡野包秀 奥田重盛 小野寺秀富 貝賀友信 片岡高房 勝田武堯 神崎則休 武林隆重 近松行重 富森正因 間光興 早水満堯 原元辰 堀部金丸 間瀬正明 村松秀直 矢田助武 矢頭教兼 横川宗利 吉田兼定
裏門隊(24士)赤埴重賢 礒貝正久 潮田高教 大石良金 大石信清 奥田行高 小野寺秀和 茅野常成 木村貞行 倉橋武幸 菅谷政利 杉野次房 千馬光忠 寺坂信行 中村正辰 間光延 間光風 不破正種 堀部武庸 前原宗房 間瀬正辰 三村包常 村松高直 吉田兼亮
不参加萱野重實

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