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赤穂義士 神崎与五郎則休の一部始終

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赤穂浅野藩に再仕官した 時期や経緯などは不明だが美作出身者には横川勘平茅野和助がいて共に討ち入りに加わる。文武に優れた与五郎は高禄の脱盟者に厳しい筆誅を加えた点が際立っている。

神崎与五郎の家紋です
家紋 蛇の目
神崎与五郎則休の詩の銘板です
神崎の銘板
神崎与五郎の家系図です
家系図

与五郎の特筆事項

真筆の手紙 平成二十五年に発見!神崎与五郎の手跡です

相生市明顕寺の古文書のうち一通が神崎与五郎自筆の手紙であると平成二十五年に赤穂市教育委員会が発表しました。手紙は妻「かつ」へ宛てた返書とみられ、母の気分がよいとの知らせを喜ぶ内容で、かな文字のやさしい筆跡に家族への思いやりが感じられるとのコメントが附してありました。

神崎与五郎の画像です性格と容貌 美男子で多能
  • 優美な容貌であったと「作陽異人伝」や「箕作犬庵」(与五郎の従弟)に出ている。
  • 人柄は豪放磊落と繊細さを兼ね備えた人で酒斗なを辞さずの酒好き
  • 書を読み詩を賦し、歌を詠じ俳句にも通じるなど多能。(俳諧は水間沾徳に和歌は葛岡修理太夫に学ぶ)
赤穂藩との縁 不明のまま
  • 父の半右衛門を継いで仕官した森家が断絶して浪人し、浅野家に仕官した説。
  • 義弟の藤九郎に家督を譲って早くから郷里の美作を出ていたとする二説がある。
変名の由来

美作屋善兵衛の名で扇子や団扇の地紙を売る 屋号の美作屋は祖父も父も津山城主森美作守に仕えていたからで店は麻布谷町にあった。家主は吉良に仕える徒士の伯父で吉良家に中間として入り込もうとしたが三河国吉良領以外の者は採らなかったので、あきらめ吉良邸門前の米屋五兵衛こと前原伊助の店に移り米や雑穀を扱う「小豆屋」とした。

脱盟者に対して

重臣の脱盟を痛烈に非難 「奥野将監はじめは義をたくましくし、祖山城半左衛門の武功を尊ぶ。然も其の鉄心忽ち鎔けしこうして空しく不義泥水に入る者なり。河村伝兵衛、進藤源四郎、佐藤伊右衛門、小山源五左衛門、稲川十郎右衛門ともに忠義を抱き、金石の如しと雖も、節にのぞみこれを忘れる。あたかも雪霜の旭光に向ふが如し。蜉蝣(かげろう)薄暮をおそれ秋蝉鳶鴟(しゅうぜんえんし)をにくむの類なり。なかんづく小山、進藤は大石に縁ありて共に死せざるべからざるなり。しかるに進藤曰く『いま事を果たさんと欲する者は、皆な餓死をにくんで忠臣に似たる成り』と、此れ何の謂ぞや。汝忠心を棄てて、飢うる没(な)きを採るか。至愚を抱いて言を吐く者なり。糟屋勘左衛門、田中権右衛門、多藝太郎左衛門共に人の義あるを羨み、暫く大石に属すと雖も、もと性弱きによりて、忽ち心を変ずる者なり」

母と妻宛の手紙 夫婦仲の良い孝行息子

元禄十五年十月十六日付(1702)で、「一筆申し参らせ候。まづまづかもじはじめ、そもじ殿無事御暮らし候て目出度く存じ参らせ候。此方我が身無事に暮し候まま、御気遣ひなされまじく候。今年は我ら事御案じ候てつかえもふとり申す由。さてさてこれのみ気の毒に存じ参らせ候。我事忘れ申さるる間なき由、さぞさぞさ候はんとすもじ(推量)致し参らせ候。我らと思はれ候て、かもじへ、よくよく愛らしく致され下さるべく候。我らとても、その方恋しく候ても、これは人たるものの勤めにて候。かもじなどいろいろと申され候てもそもじ殿心弱く候ては悪しく候まゝよくよく分別なさるべく候。なるように外ならぬものにて候。くれぐれ左様に御心得候て、そもじ殿わづらひ申されぬように致されぬように致され候べく候。何ほど我ら事、御案じ候ても詮なく候。そもじ殿つかれふとり候由御申越候て、さてさて気づかひに存じまいらせ候」

那波十景を詠む 赤穂開城後隠棲中の作

那波十景の画像です
「那波十景」元禄十四年(1701) 高光寺所蔵

(1)「神山や松はすねつつ花の雲」宮山松開花 (2)「那波とくが陸あらそふとなし夕田歌」浜田面の早苗 (3)「すんなりと淵に入らてそ蛍の火」鯆淵流の蛍乱 (4)「海山も月の隈かな岡野台」岡野台秋月 (5)「竜神も雪を見よとや山のかげ」雪降台暮雪 (6)「川柳まねいて見るや二子島」二子対姨川 (7)「大島や海はいよいよ夏木立」浮水大島翠(みどり) (8)「此月に素面なりけり秋の鷺」大避崎宿鷺 (9)「涼みかも網帆唐めく相生(おお)の船」相生浦漁舟 (10)「彩色や入り江いりえの浅かすみ」馬通望曲江

与五郎の出自と経歴など

生年 寛文六年(1666) 家系 本姓 ・ 源氏
没年 元禄十六年二月四日 出身地 美作国津山(岡山県津山市)
享年 三十八歳 神崎半右衛門(森美作守家臣として仕えていたが元禄十年に森家が断絶し浪人する)
戒名 刃利教剣信士 下山六郎兵衛の娘(美作津山藩森家家臣)
禄高 五両三人扶持 ・ 新参 兄弟 弟 神崎藤九郎(津山森家家臣のち浪人)
役職 横目付 親戚 省略
屋敷 赤穂城下 変名 美作屋善兵衛 ・ 小豆屋善兵衛 ・ 千崎弥五郎則安(仮名手本)
幼名 不詳 仮寓所 播州赤穂郡那波 ・ 江戸麻布谷町 ・ 本所相生町二丁目
性格 豪放磊落と繊細さを備えた人 討入守備 表門隊警備 吉良邸討入り時の詳細
広光 二尺五寸
脇差 一尺八寸無銘
お預け所 三河岡崎藩五万石水野監物忠之(後六万石)
赤穂四十六士の切腹
雅号 竹平 切腹場所 三河岡崎水野監物忠之下屋敷
妻子 妻 おかつ 浅野家中河野九郎左衛門の娘で仲睦まじく義母まで引き取って世話をしていた
遺言 不詳 介錯人 田口安右衛門
辞世の句 「梓弓春近ければ小手の上の雪をも花のふぶきとや見ん」 「とんで入る 手にもたまらぬ 霰哉」
赤穂四十七士と萱野三平

表門隊(23士) 大石良雄 大高忠雄 岡嶋常樹 岡野包秀 奥田重盛 小野寺秀富 貝賀友信 片岡高房 勝田武堯 神崎則休 武林隆重 近松行重 富森正因 間光興 早水満堯 原元辰 堀部金丸 間瀬正明 村松秀直 矢田助武 矢頭教兼 横川宗利 吉田兼定
裏門隊(24士) 赤埴重賢 礒貝正久 潮田高教 大石良金 大石信清 奥田行高 小野寺秀和 茅野常成 木村貞行 倉橋武幸 菅谷政利 杉野次房 千馬光忠 寺坂信行 中村正辰 間光延 間光風 不破正種 堀部武庸 前原宗房 間瀬正辰 三村包常 村松高直 吉田兼亮 不参加 萱野重實

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