赤穂浪士

元赤穂藩士が起こした日本三大仇討ち事件

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義士サムネイル

赤穂市に終の棲家を決めた理由の一つに元禄赤穂事件がありました。

諸先生の本を読み、要点をまとめた積もりですが、誤解があるのでは?と案じています。史実にこだわり加筆したいと思っています。

赤穂義士祭の登場人物ですサイト内の画像は[赤穂義士祭]のものです

独り言 忠臣蔵は歴史の谷間に埋もれることなく300余年後の今も日本人の心を揺さぶり続ける。「元禄赤穂事件」や「赤穂事件」と呼ばれる事件の一部始終です。

事件を項目別にご紹介
あらすじ事件の発端から四十六士の切腹と遺族のその後まで
年表江戸城刃傷事件・赤穂開城山科隠棲・江戸下向まで
江戸市中潜伏と吉良邸襲撃四十六士切腹と遺族の事
事件の詳細刃傷事件・赤穂浅野家断絶討ち入りまでの紆余曲折
吉良邸に討ち入り悲願成就引き揚げ・泉岳寺の様子
切腹と遺子の処罰とその後
浅野家浅野家の家系図と赤穂藩浅野家支配地と浅野内匠頭の詳細
吉良家吉良家の家系図と吉良上野介の詳細と吉良左兵衛義周の記録
赤穂城元禄時代の赤穂城は?築城の経緯や藩士の数、古写真や見取り図
屋敷跡赤穂城内と城下宅跡グーグルマップ

赤穂四十七士一覧表と萱野三平

独り言 藩主の起こした刃傷事件で故郷を追われた藩士は三百余名、失業後も忠誠を忘れず、命を捨てて恩顧に報いた元赤穂藩士の名簿です。各義士の家系図や家紋、辞世の句、遺言、子孫等もご覧いただければ嬉しいです。表中()内は享年です

四十七士と萱野三平の略伝一覧
赤埴源蔵重賢二百石・馬廻・譜代・独身で徳利の別れは講談咄・下戸で寡黙な人柄(35)
礒貝十郎左衛門正久百五十石・新参・物頭側用人・利発で器用な人柄(25)
潮田又之丞高教二百石・郡奉行兼絵図奉行・山鹿素行門下・東軍流奥村無我門下(35)
大石内蔵助良雄千五百石・表門隊長・遺言や辞世の句・経歴・家系と家系図(45)
大石主税良金裏門隊長・部屋住・体躯に優れ十六歳とは思えぬしっかりした人柄(16)
大石瀬左衛門信清百五十石・馬廻・内蔵助の曾祖父、良勝の弟で信云四百五十石の孫(27)
大高源吾忠雄二十石五人扶持・金奉行兼腰物方兼膳番元方・俳諧に通じ文武両道の人(32)
岡島八十右衛門常樹二十石五人扶持・札座勘定奉行・実兄が原惣右衛門で清廉潔白な人(年33)
岡野金右衛門包部屋住(亡父二百石)・恋の絵図面取りは虚実不詳・俳号は放水(24)
奥田貞右衛門行高九石三人扶持・加東郡勘定方・養父奥田孫太夫・近松勘六は腹違いの兄(26)
奥田孫太夫重盛百五十石・武具奉行・前夜に切腹の稽古をしたと覚書に残る(57)
小野寺十内秀和百五十石役料七十石・京都留守居役・義理人情に厚く夫婦ともに歌人(61)
小野寺幸右衛門秀富部屋住・実兄大高源五・義父母に孝養を尽くす優と豪を備えた人(28)
貝賀弥左衛門友信十両三人扶持・蔵奉行・吉田忠左衛門の実弟で信頼が厚かった人(54)
片岡源五右衛門高房三百五十石・側用人兼児小姓頭・眉目秀麗・主君切腹時唯一面会した人(37)
勝田新左衛門武堯十五石三人扶持・札座横目・剣客・祖父の代に浅野長直に仕える(24)
茅野和助常成五両三人扶持・横目付・赤穂藩へ再仕官してわずか4年目での悲劇(37)
神崎与五郎則休五両三人扶持・歩行目付・号は竹平で文武両道の人・義憤の人(38)
木村岡右衛門貞行百五十石・馬廻兼絵図奉行・学問好きの慎重な人柄・討入り時に負傷(46)
倉橋伝助武幸二十石五人扶持・扶持奉行・吉良邸の探索に力を尽くした人(34)
菅谷半之丞政利百石・馬廻兼郡代・容貌魁偉で美男説は史実と異なるらしい(44)
杉野十平次次房八両三人扶持・札座横目・剣客・浪士中では比較的裕福だった人(28)
武林唯七隆重十五両三人扶持・馬廻・祖父は中国人・吉良上野介を捕らえた功労者(32)
近松勘六行重二百五十石・馬廻・忠僕甚三郎は襲撃を門外で待ち年末迄江戸に留まる(34)
千馬三郎兵衛光忠百石・馬廻・致仕願い中に刃傷事件に遭遇。私憤を捨て忠義を貫いた人(51)
寺坂吉右衛門信行 三両二分二人扶持・足軽・吉田忠左衛門配下・唯一の生存者(83)
富森助右衛門正因 二百石・馬廻兼使番・父の没後十四歳で浅野内匠頭に仕え寵愛を受ける(34)
中村勘助正辰百石・書物役・出身の陸奥国白河に家族を送り届けて討ち入る(48)
間喜兵衛光延百石・勝手方吟味役・間十次郎・新六の実父・裏門隊作戦参謀(69)
間十次郎光興部屋住・父は間喜兵衛・弟は間新六・吉良上野介の第一発見者(26)
間新六光風浪人・間喜兵衛の二男・実際に腹を切った唯一の人(24)
早水藤左衛門満堯百五十石・馬廻・弓術は赤穂藩一・刃傷事件の第一報を赤穂に知らせる(42)
原惣右衛門元辰三百石・足軽頭・大石内蔵助を補佐する三長老の一人・討入り時に負傷(56)
不破数右衛門正種元百石・元馬廻・浪人出身唯一の義士・戦闘での働きは浪士中第一(34)
堀部弥兵衛金丸隠居料二十石(前三百石)・前江戸留守居番で子(養子)は堀部安兵衛(77)
堀部安兵衛武庸二百石・馬廻・高田の馬場事件後に堀部家の婿養子に・仇討ち急進派(34)
前原伊助宗房十石三人扶持・江戸詰の金奉行・吉良邸前で古着屋を開業して探索(40)
間瀬久太夫正明二百石役料五十石・大目付・表門隊参謀・間瀬孫九郎の父(63)
間瀬孫九郎正辰部屋住・間瀬久太夫の長男で従兄弟に中村勘助がいる(23)
三村次郎左衛門包常七石二人扶持・酒奉行兼台所役・低い士分ながらまことの武士(37)
村松喜兵衛秀直二十石五人扶持・扶持奉行(江戸詰)・長男は村松三太夫(62)
村松三太夫高直部屋住・母への孝養を捨て義盟に加わり父と共に切腹。信念の人(27)
矢田五郎右衛門助武百五十石・馬廻・討ち入り時に火鉢で刀を折り敵の刀を奪って奮戦(29)
矢頭右衛門七教兼部屋住・仇討ちを前に病没した父に代わり義盟に加わり切腹(18)
横川勘平宗利五両三人扶持・徒目付・討ち入り時に負傷・お軽勘平は萱野三平で別人(37)
吉田沢右衛門兼定部屋住(蔵奉行説あり)・父は吉田忠左衛門・叔父に貝賀弥左衛門(29)
吉田忠左衛門兼亮二百石役料五十石・足軽頭兼郡奉行・寺坂吉右衛門の主で和歌に秀でる(64)
不参加
萱野三平重實十三両三人扶持・孝か忠かで苦悩し、亡君の月命日に自宅で自殺(28)

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