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赤穂義士 不破数右衛門正種の一部始終

赤穂義士のトップページに戻るふわかずえもん まさたね

幼い頃に養子となり 浅野家に仕えていたが平時には不向きな性格が災いして凶変勃発当時は浪人となり江戸にいた。旧藩の危急を知り義盟への参加が叶ったとされる。吉良邸では無類の働きをして本懐を遂げる。

不破正種の家紋です
隅角切横一(異説有)
不破正種の銘板です
不破数右衛門の銘板
不破正種の家系図です
家系図

数右衛門の特筆事項

宅跡の赤穂義士会説明板(転載)

不破数右衛門宅地跡案内板
場所を確認

数右衛門は赤穂藩譜代の不破家の養子となり家督を嗣いだ。数右衛門の名は、義父の名を襲名したものである。実父は岡野治太夫といい、浅野家家臣であったが浪人して佐倉新助と改名していた。
主君の不興をかい、刃傷事件の数年前に浪人の身となり江戸に出ていた。しかし主君を怨まず、のちに大石内蔵助の執り成しによって、泉岳寺の主君の墓前で閉門を解かれ帰参が叶い、義盟に加わっている。義士の中で、浪人から帰参を許されたのは数右衛門ただ一人である。その後は八右衛門または松井仁太夫と変名し、江戸の同志と行動を共にした。
討ち入りは裏門隊に属し、裏手の庭を持ち場に決められていたが、辛抱できずに邸内に踏み込んでいる。小手・着物は切り裂かれ、刃もこぼれてササラのようになり、最もよく奮戦したと伝えられている。のちに松平家へお預けとなり、荒川十太夫の介錯で切腹した。 赤穂義士会

不破数右衛門の画像です浪人になった理由
百箇日の閉門の処分を受ける これを不服として異議を申し立てるが却下され浪人となり江戸に住む。浅野内匠頭は礒貝十郎左衛門に帰参を叶えたい旨を漏らしたと伝わる。
  • 埋葬された死体を掘り出し試し斬りした。
  • 暮し向きが不自由としながら客に馳走をし、賑やかな囃子などをして不興を買う。
  • 平生役儀を粗略にし、且つ同役と仲が悪いなど。
浪人から浪士へ

赤穂浅野藩の窮状を知り義盟に加わる 大石内蔵助が最初の東下(元禄十四年十月二十日)で泉岳寺墓参の折、吉田忠左衛門のとりなしで主君への墓参がかない義盟への参加を許された説と礒貝十郎左衛門の助言で連判に加わることが出来たとの説がある。

討ち入りの時

浪士中第一の働きをした人 原惣右衛門の「討入実況報告」の中に「大に働き申候処は不破数右衛門働きにて、勝負致候相手如形手きゞにて、数右衛門へも数ヶ所切付候得共、着込之上にて候故、疵も無之候。小手、着物は悉く切りさかれ申候。刀は皆これなき様に罷り成り四、五人も切りとめ申積りにご座候。其外少し手あい致し候得ども、少許の太刀合せまでに御座候」(大石内蔵助送寺井玄渓)とあり、その奮戦振りはこれで十分に察することができる。

家系と父親について

本姓、平氏で祖父岡野又右衛門は元赤穂藩士。寛文六年(1666)流刑になった山鹿素行を江戸から赤穂へ護送した人で素行の人柄にうたれ師事した。
実父
岡野治太夫正治は浅野家に仕えたあと浪人となり佐倉新助と改名する。正徳三年(1713)六月二日に酒井家で死去。墓所は古市町宗玄寺一族合同墓石。戒名は本功院釈隠良居士。
養父 浅野藩士不破数右衛門で、正種が幼い頃に先代数右衛門の婿養子となる。

兄弟
  • 義姉 大田半兵衛妻(松平紀伊守家臣)
  • 実姉 熊、は酒井三郎右衛門に嫁す。古市の酒井家に伝わる不破の襯衣(肌着)の由緒を書いたものには東下に際し、姉に訣別したことや実父の治太夫(佐倉新助)も酒井家に引き取られていたことが書かれている。
  • 実次弟 佐倉慶也三十七歳、町医師、摂州大坂在住
  • 実三弟 佐倉佐介三十一歳、浪人、同上
  • 実四弟 佐倉亀八十三歳
  • 実妹 笹川只右衛門の妻(本多中務大輔家臣)
  • 実妹 上島弥介の妻(浅野家家来、播州亀山在住)

数右衛門の出自と経歴など

生年 寛文十年(1670) 家系 本姓 ・ 平氏(特筆事項に記載)
没年 元禄十六年二月四日 出身地 播州赤穂(不明説あり)
享年 三十四歳 特筆事項に記載
戒名 刃観祖剣信士 実母 長沢六郎右衛門の娘 播州亀山在住
養母 安達大膳の娘
禄高 元百石 ・ 譜代(元禄十年頃主君の勘気に触れ浪人) 兄弟 特筆事項に記載
役職 元馬廻 ・ 浜辺奉行 親戚 省略
屋敷 赤穂城下 変名 松井仁太夫 ・ 町人八左衛門
幼名 不詳 仮寓所 江戸新麹町六丁目(五丁目説あり)喜右衛門店
性格 粗野で直情型 討入守備 裏門隊警備 吉良邸討入り時の詳細
則光 尺不明
脇差 則光 尺不明
お預け所 伊予松山藩松平隠岐守定直 赤穂四十六士の切腹
雅号 不詳 切腹場所 伊予松山藩松平隠岐守定直中屋敷
遺言 辞世の句ともに不詳 介錯人 荒川十太夫
妻子 妻 養父不破数右衛門の娘で播州亀山在住
長男 不破大五郎 六歳 姉婿の紀州家家臣大田半兵衛方在住
女児 妻と同所に在住
赤穂四十七士と萱野三平

表門隊(23士) 大石良雄 大高忠雄 岡嶋常樹 岡野包秀 奥田重盛 小野寺秀富 貝賀友信 片岡高房 勝田武堯 神崎則休 武林隆重 近松行重 富森正因 間光興 早水満堯 原元辰 堀部金丸 間瀬正明 村松秀直 矢田助武 矢頭教兼 横川宗利 吉田兼定
裏門隊(24士) 赤埴重賢 礒貝正久 潮田高教 大石良金 大石信清 奥田行高 小野寺秀和 茅野常成 木村貞行 倉橋武幸 菅谷政利 杉野次房 千馬光忠 寺坂信行 中村正辰 間光延 間光風 不破正種 堀部武庸 前原宗房 間瀬正辰 三村包常 村松高直 吉田兼亮 不参加 萱野重實

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