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赤穂義士 近松勘六行重の一部始終

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赤穂義士のトップページに戻るちかまつかんろく ゆきしげ

四歳のときに母と死別後 乳母に育てられる。異母弟の奥田貞右衛門と仲がよく、知略に富んだ人柄に加えて乳母や忠僕甚三郎への配慮を知ると優しい性格の持ち主であったことが分かる。

家紋です
家紋 六つ星
銘板です
勘六の銘板
家系図です
家系図

勘六の特筆事項

宅跡の赤穂義士会説明板(転載)

近松勘六宅地跡案内板
場所を確認

近松勘六は、祖父の代から浅野家に仕えた。山鹿流兵学に通じ、知略に富み、また情愛の深い人であった。
元禄十三年、浅野内匠頭に従って江戸入へ下っていたが、在府中に刃傷事件が起こり、江戸屋敷を引き渡し、急きょ赤穂に帰り義盟に加わった。
元禄十五年、勘六は吉田忠左衛門とともに第一陣として江戸へ下り、石町三丁目に家を借り受け、森清助または田口三助と変名して敵情を偵察した。
吉良邸へ討ち入りの際は、表門隊の一員として早水藤左衛門らと屋外で奮戦、泉水に転落したが、ひるむことなく敵を斬り伏せた。しかし、身には数カ所の傷を負った。熊本藩細川家の下屋敷にお預けの後、翌年横田作之丞の介錯で切腹した。 赤穂義士会

近松勘六の画像です浅野家との縁

綿織冠者義高の末流で六角家の典医。近松家を継ぐ祖父は豊臣秀頼に仕えた後に医術をもって備後三次浅野家に仕えた近松伊看。後に浅野長直に侍医として仕え父の代に士分に取り立てられた。

母と義母と弟妹について

乳母へのおもい 四歳の時に母と死別し、十九歳の時に父と死別している。義母には弟三人妹一人が生まれ一番上の弟が奥田孫太夫の養子となった貞右衛門。赤穂戸嶋新田に住んでいた乳母宛に手紙とお金を送り謝意を表し、阿波蜂須賀家に仕える仁尾官右衛門に手紙を送って義母の永昌院に感謝し、異母妹の「お百」の将来を頼むなど知略と情に富み、しっかりした人物だった。

吉良邸で戦闘のとき 負傷する

逃げる敵を泉水の所まで追いかけ一太刀あびせた拍子に池に落ちて刀傷と打撲を負う。幸い敵が逃げたので助かったが、危ないところであったと後日、堀内伝右衛門に語る。別説では泉水に落ちながら敵のあごから斜めに切り割いたとあり、敵は山岡新八であったらしい。泉水での清水一学との対決は後に脚色されたものである。

乳母と手紙 優しい勘六!

赤穂戸嶋新田に住む乳母宛で「(中略)われら事幼少より母におくれ候ところに、別けてそなた何かといたはり候て成人いたし、今にそなた一代何とぞ介抱いたし度く思ひ申し候に、不仕合せにて浪人いたし、近頃残念に存じ候。さりながら何事も前世の約束と愛し召し下さる可く候」と乳母に心からなる感謝を捧げ、彼女の老後を看てやれない事を嘆いている。乳母の夫作兵衛にまで筆を添えて慰めてやって欲しいと頼み、形見分けの積もりか手持ちのあり金と自分の衣類を送っている。

忠僕甚三郎 忠節を尽くして・・・
  • 討入りの前には瑤泉院へ仇討の費用明細などを届ける使者になったとの説もある。
  • 討入りの際は吉良邸の前で待ち、泉岳寺までついて来る。元禄十五年十二月二十四日まで江戸に留まり、皆の落ち着き先を見極めて郷里に帰っている。
  • 細川家にお預け後、堀内伝右衛門に「今から思えば勘六の名字を譲って士分並に仲間に加えてもらうよう内蔵助に頼めばよかったが残念至極だ」と語っている。
遺言 甚三郎に伝えて欲しい

「討入りの時の負傷もお手厚い治療で全治致しました。なお谷中の長福寺にいる弟の文良に今日の様子を伝えて欲しい。また小者の甚三郎にも伝えて欲しい」

勘六の出自と経歴など

生年 寛文十年(1670) 家系 本姓 ・ 清和源氏
没年 元禄十六年二月四日 出身地 近江国野洲郡比留田村
享年 三十四歳 近松小右衛門行重(浅野家家臣病死)
戒名 刃随露剣信士 西村伝碩娘(親類書では筑間三右衛門娘)
禄高 二百五十石 ・ 譜代 兄弟 異母弟 奥田貞右衛門(奥田孫太夫の養子となる)
異母弟 文良(江戸谷中長福寺の僧。大和長谷寺説も有る)
異母弟 ? 松平淡路守家中
異母妹 お百(仁尾官右衛門妻で阿波徳島在住)
役職 馬廻 親戚 省略
屋敷 赤穂城下 変名 森清助 ・ 田口三助 ・ 三浦十右衛門
幼名 不詳 仮寓所 江戸芝三田松本町
性格 知略に富み信頼度の高い人 討入守備 表門隊警備 吉良邸討入り時の詳細
三吉作 二尺 ・ 脇差 尺不明無銘(剣術は竹脇無我門下) お預け所 肥後熊本藩 細川越中守綱利 赤穂四十六士の切腹
雅号 不詳 切腹場所 肥後熊本藩細川越中守綱利下屋敷
妻子 不詳 介錯人 横山作之丞(義士辞典)
遺言 上に記載 ・ 辞世句は不詳です
赤穂四十七士と萱野三平

表門隊(23士) 大石良雄 大高忠雄 岡嶋常樹 岡野包秀 奥田重盛 小野寺秀富 貝賀友信 片岡高房 勝田武堯 神崎則休 武林隆重 近松行重 富森正因 間光興 早水満堯 原元辰 堀部金丸 間瀬正明 村松秀直 矢田助武 矢頭教兼 横川宗利 吉田兼亮
裏門隊(24士) 赤埴重賢 礒貝正久 潮田高教 大石良金 大石信清 奥田行高 小野寺秀和 茅野常成 木村貞行 倉橋武幸 菅谷政利 杉野次房 千馬光忠 寺坂信行 中村正辰 間光延 間光風 不破正種 堀部武庸 前原宗房 間瀬正辰 三村包常 村松高直 吉田兼定 不参加 萱野重實

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