息子の清十郎は討ち入り一週間前の生まれで貞右衛門が切腹した時はわずか二歳だった。この息子は貞右衛門の死後、仁尾官右衛門の養子になり成人して二百五十石取りの阿波蜂須賀藩士になっている。
丸の内にすはま
石板:赤穂市内
討ち入り姿
此事承知仕候得共、此節殊外閙舗(さわがしく)不能其儀候、世倅清十郎成人仕り十人なみの生付にて御座候はば御はらひ金子にて成りとも高価にうれ不申候はば、やはり其のまま御置十四五歳にもなり申候はば、御渡し可被下候、それも近年に御はらひ被下候はば金子は少つゝ可被遣下候奉願候]
独り言 息子を見ることなく切腹した二十六歳。討ち入り前に生まれた息子は成人して二百石で阿波蜂須賀家に仕える。部屋住み説もある微禄の青年は愛妻家であったことが遺書からもわかる。覚悟の仇討ちとはいえ、さぞ息子の顔を見たかったであろう。涙
生年
| 家系
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仮寓
| 変名
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刀
| 討入
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遺言・辞世の句 共に不詳です |
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