大石内蔵助に神文を差しだし忠義を貫きたいと申し出た。
僅か七石二人扶持の包常を読む度に目頭が熱くなる。
三村家系図
家紋:丸に剣片喰
独り言 三村義士を心から尊敬している。私にはできないからだ。台所小役人といえば士分の最下層、寺坂吉右衛門とさして変わらぬ身分である。その彼が「不義に生きて家名を汚してはならじ」の一念から義盟に加わったのである。妻女の最後はまことに悲惨。不幸と貧しさに耐えて初志を貫徹した姿は立派だったの一言に尽きる。涙
石板:赤穂市内
憤然として身分の上下で分け隔てするなら切腹して忠義の志をみせると抗議した。
また別の説では、開城に際し籠城、殉死の議があった時、身分が賤しい為出席することが出来なかった。
★しかし身は小禄の者といえども、不義に生きて家名をはずかしめんものかと、ひそかに神文を内蔵助に出した。これを見た大石内蔵助は「家中には厚恩を受ける者も少なくない。
大方は主家の難を憂えずして後先の考えばかりである。しかるに忠義の士はその方の如き小役人より出ずと。このうえとも励み候え」と励ましたという。
討ち入り姿
[此手はかけやを以て三村次郎左衛門三つ四つ戸ぴらを叩きて打ちやぶり
どっとおしこみすぐに上野介殿隠居の玄関へ押入り申候。その勢如何る天魔波旬も面を向ふべからずと思はれ候]と。
生年
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変名
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