原惣右衛門元辰(赤穂義士)

原惣右衛門サムネイル

原惣右衛門

はらそうえもん もととき

父の原七郎左衛門定正は上杉播磨守綱勝(吉良上野介の妻の兄)に仕えたこともあり、江戸城松の廊下刃傷事件以後は赤穂藩士である原惣右衛門にとって運命の皮肉!仇敵の間柄となる。このため、討ち入りの前に上杉藩士の従弟二人と義絶している。

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元加賀藩士? 出世した遺児 辞世の句と遺言

家系図・家紋

原・岡島家系図(戻る)

角内立葵原家家紋

祖父

独り言加賀百万石の支藩で越前との国境に十万石の大聖寺藩がある。台所役人として仕えた原惣右衛門に不始末があり追放、のち赤穂に来たと「米沢地名選」にある。子供時代を大聖寺で過ごした私はお城のあった錦城山でよく遊んだ。それだけのことで惣右衛門を身近に感じるから人は不思議だ。真偽のほどは不明と赤穂義士事典にある。熱心な日蓮宗徒で赤穂高光寺とのゆかりが深い義士です。

妻と遺児(子孫)

後妻後妻養子女児男児

大石内蔵助の参謀

浅野内匠頭切腹の使者を務める

討ち入り姿原惣右衛門の討ち入り姿

江戸城での刃傷事件発生を赤穂に知らせるため大石瀬左衛門信清と急ぎ発つ。早籠の仕組み

書状の内容
[大石内蔵助殿、大野九郎兵衛殿、岡林杢助殿、外村源左衛門殿、奥村将監殿、伊藤五右衛門殿、玉蟲七郎右衛門殿
一筆申入候、今般土屋相模守殿より采女正美濃守へ如斯の以御書き付被仰渡候間其元家中侍中末々迄並に町在り中に至る迄騒動不仕物静かに仕り罷在候様に急度可申渡候。右之通り被仰渡候間、重て被仰付有之まで物静かに仕り罷在り、尤も火の元入念候様に可被申付候。此上は大学殿為にて候間此趣家中面々に可申渡候恐々三月十四日 浅野美濃守 浅野大学 戸田采女正]

文筆家

[起請文前書] 吉田忠左衛門が立案したものに加筆する。
[討入り実況書] 討入りから四家へお預け迄の記録。元禄十五年十二月二十四日付で大石内蔵助、小野寺十内と連名で原惣右衛門が書いて寺井玄渓に送った書簡。

吉良邸の戦闘で負傷

討ち入りの時、表門から突入して足をくじき泉岳寺への引き揚時に駕籠を使った説がある。

屋敷跡説明板

場所を確認原惣右衛門宅地跡案内板

原惣右衛門は、大石内蔵助の参謀として、一挙の計画、遂行に多大の貢献があった。

元禄十四年三月十四日は、江戸城竜の口の伝奏屋敷に詰めて待機していたが、主君刃傷によって引揚げを命ぜられるや、わずかの時間に伝奏屋敷の家財道具を運びだしたその手腕は見事であった。また、その夜のうちに、内匠頭の切腹の報などを伝える第二の早使いとして、大石瀬左衛門とともに赤穂へたち、五日間で大石内蔵助に伝えて大役を果たした。

江戸に出てからは、和田元真と変名し、吉田忠左衛門らとともに内蔵助の指示のもとに吉良邸討入りの作戦の立案にあたった。

元禄十五年十二月十四日の討ち入りには、表門隊に属し奮戦した。のちに熊本藩主細川家にお預けとなり、翌年二月四日増田貞右衛門の介錯で切腹した。赤穂義士会(転載)

預け先 肥後隈本藩細川家

泉岳寺の墓

原惣右衛門の墓泉岳寺:原惣右衛門(戻る)

市内の石板原惣右衛門の石板

戒名

刃峰毛剣信士

広国二尺九寸・脇差国助二尺

辞世の句

義人録・鐘秀記・義人遺草に掲載
[かねてより君と母とに知らせんと人より急ぐ死出の山路]

遺言

世話役の堀内伝右衛門に依頼
[討入り実況書を内海道億にお渡し下さい]

内海道億

浅野家の医師で浅野家断絶後は京橋に住み、復讐の議にも加わるが思い止まり以後、浪士の治療や連絡役で貢献し大石内蔵助はじめ一同に信頼された人。
原惣右衛門備忘録
生年
  • 慶安元年(1648)
没年
  • 元禄十六年二月四日
享年
  • 五十六歳
変名
  • 和田元真 前田善蔵
  • 原郷右衛門(仮名手本)
雅号
  • 来川
性格
  • 信頼のおける人柄
家系
  • 本姓・清和源氏 原加賀守昌俊子孫 甲斐武田家臣
屋敷
  • 赤穂城下
仮寓
  • 大坂天満十一丁目老松町・江戸新麹町六丁目大屋喜右衛門裏店
役職
  • 足軽頭
禄高
  • 三百石 新参 延宝三年仕官
討入切腹

赤穂四十七士と萱野三平

表門隊(23士)大石良雄 大高忠雄 岡嶋常樹 岡野包秀 奥田重盛 小野寺秀富 貝賀友信 片岡高房 勝田武堯 神崎則休 武林隆重 近松行重 富森正因 間光興 早水満堯 原元辰 堀部金丸 間瀬正明 村松秀直 矢田助武 矢頭教兼 横川宗利 吉田兼定
裏門隊(24士)赤埴重賢 礒貝正久 潮田高教 大石良金 大石信清 奥田行高 小野寺秀和 茅野常成 木村貞行 倉橋武幸 菅谷政利 杉野次房 千馬光忠 寺坂信行 中村正辰 間光延 間光風 不破正種 堀部武庸 前原宗房 間瀬正辰 三村包常 村松高直 吉田兼亮
不参加萱野重實

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