くらはしでんすけ たけゆき


浅野家に仕えて二代
七歳の時に父を失う悲運にあっている。講談では幕府旗本の出で放蕩の果てに髪結になり、中間として奉公した話がある。前原伊助等と共に吉良邸の偵察に尽力し三十四歳の生涯を閉じました。
家族・家系図・家紋
倉橋家系図
三がい菱
父
- 倉橋武助 浅野内匠家来で伝助六歳(七歳説あり)の延宝四年に死去
母
妻子
親戚
討ち入り姿
経歴 七歳で父を失う
- 七歳の時(六歳説あり)に父を失い幼くして家督を継ぐ。浅野内匠頭に仕えて中小姓となり二十石五人扶持を食む
- 元禄七年内匠頭長矩が備中松山城受け取りの際には受城軍の士として従軍する
- 元禄十三年参勤交代で大高源五、武林唯七らと出府。江戸在勤中に事変が起きる
- 急進派として敵情の偵察にあたり町人十左衛門と名乗って呉服太物を商っていた前原伊助の店の手代となり吉良邸内部を探るため苦労を共にした
講談 出身は元旗本?
講談などでは幕府旗本の出でありながら放蕩で身を持ち崩して木更津の髪結床に弟子入りし、浅野家に中間奉公したという逸話が残されている。
預け先 長門府中藩毛利家
泉岳寺の墓
戒名:刃段錬剣信士
倉橋伝助の墓
市内の石板
辞世の句
不詳です
遺言
不詳です
刀
広国 二尺七寸 脇差 二尺(浅野内匠頭拝領の刀使用説あり)
倉橋伝助備忘録生年没年享年幼名雅号変名 | 家系出身屋敷役職禄高仮寓討入切腹 |
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