主君の恩義に報いる為に一命を賭して討ち入りに加わる。
礒貝家系図
独り言 評判の仇討ち事件だけに虚説も多い。[義臣伝]に磯貝十郎左衛門、近松勘六ともに藤井彦四郎が婿なりけるが、礒貝謂(おも)へらく不義なる父が娘としばらくも夫婦の談(かたち)を為さば倶に其不義に準ずるに似たりとて先達て妻を去つ」とあるが十郎左衛門は独身で誤り。出典:赤穂義士事典
京都愛宕山教学院の稚小姓となっていたが、十四歳のとき、父権左衛門と懇意であった堀部弥兵衛の推挙で浅野内匠頭長矩公の小姓となった。
討ち入りのときは、裏門組に属し、手槍を揮って活躍した。細川家にお預けののち、吉富五左衛門の介錯で切腹したが、死後、遺品のなかに、紫縮緬の袱紗に包まれた琴の爪が一つあったという。 赤穂義士会
家紋:立木香
石板:赤穂市内
これは堀部安兵衛らと別行動をしたために猜疑の眼で見られたからで、十郎左衛門は、日夜主君の仇を討たんとして片時も忘れることはなかった。
討ち入り姿
これを聞いた堀内伝右衛門は手紙を書かせ、罪を覚悟で内藤家を訪ねた。
礒貝正久親類書 市立歴史博物館
生年
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変名
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刀
| 討入
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