矢田五郎右衛門助武(赤穂義士)

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矢田五郎右衛門

やだごろうえもん すけたけ

百五十石の馬廻役

浅野内匠頭による江戸城松の廊下刃傷事件時は江戸にいた。

吉良邸討ち入りでは表門から突入して戦闘中に背後から斬りつけられたが、鎖帷子のおかげで負傷せずにすんだとのちに語っている。

家族・家系図・家紋

矢田家系図家譜

茗荷内矢矢田家の家紋

先祖は三河の勇士矢田作十郎から出た家柄。作十郎は徳川家康に仕え驍勇をもって称されていた。
父利兵衛のとき初めて浅野家に仕えて五郎右衛門に至る。
長男長女

吉良邸の戦闘で刀を折る

討ち入り姿矢田五郎右衛門討ち入り姿

奥田孫太夫勝田新左衛門と共に書院目指して突き進んでいると隠れていた敵が卑怯にも後から斬りかかってきた。
鎖帷子のお陰で負傷せずに済んだが、一の太刀で相手を切り伏せ、二の太刀を振り下ろした処、下に火鉢があって刀の切っ先から五、六寸のところで折れてしまったので相手の刀を奪って奮戦した。
のちに折れた刀は新刀であったが疵があったのかも知れないと洩らしている。

預け先 肥後熊本藩細川家

泉岳寺の墓

矢田五郎右衛門の墓泉岳寺:矢田五郎右衛門(戻る)

市内の石板矢田五郎右衛門の石板

戒名

刃法参剣信士

辞世の句

不詳です

国助二尺 脇差一尺六寸

遺言

細川家世話役の堀内伝右衛門に
[討入りの時、佩刀を折り、相手から奪った刀を持っているから遺族が不思議に思うかも知れない。御下げ渡しの節は、そのわけを説明してやってほしい]
矢田五郎右衛門備忘録
生年
  • 延宝三年(1675)
没年
  • 元禄十六年二月四日
享年
  • 二十九歳
幼名
  • 不詳
雅号
  • 不詳
変名
  • 塙 武助
家系
  • 本姓・藤原氏
出身
  • 播州赤穂(武蔵国江戸説あり)
屋敷
  • 江戸藩邸
役職
  • 馬廻・武具奉行(江戸定府)
禄高
  • 百五十石・二代
仮寓
  • 江戸芝通町三丁目桧物屋惣兵衛店
討入切腹

赤穂四十七士と萱野三平

表門隊(23士)大石良雄 大高忠雄 岡嶋常樹 岡野包秀 奥田重盛 小野寺秀富 貝賀友信 片岡高房 勝田武堯 神崎則休 武林隆重 近松行重 富森正因 間光興 早水満堯 原元辰 堀部金丸 間瀬正明 村松秀直 矢田助武 矢頭教兼 横川宗利 吉田兼定
裏門隊(24士)赤埴重賢 礒貝正久 潮田高教 大石良金 大石信清 奥田行高 小野寺秀和 茅野常成 木村貞行 倉橋武幸 菅谷政利 杉野次房 千馬光忠 寺坂信行 中村正辰 間光延 間光風 不破正種 堀部武庸 前原宗房 間瀬正辰 三村包常 村松高直 吉田兼亮
不参加萱野重實

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