矢田五郎右衛門助武(赤穂義士)

戦闘中に刀を折り敵の刀を奪って奮戦

やだごろうえもん すけたけ

矢田五郎右衛門サムネイル

百五十石の馬廻役

浅野内匠頭による江戸城松の廊下刃傷事件時は江戸にいた。

吉良邸討ち入りでは表門から突入して戦闘中に背後から斬りつけられたが、鎖帷子のおかげで負傷せずにすんだとのちに語っている。

矢田家系図矢田家系図

家系

家紋:茗荷内矢矢田家の家紋

石板:赤穂市内矢田五郎右衛門の石板

先祖は三河の勇士矢田作十郎から出た家柄。作十郎は徳川家康に仕え驍勇をもって称されていた。

父利兵衛のとき初めて浅野家に仕えて五郎右衛門に至る。

両親

  • 矢田利兵衛(十八年以前に病死)
  • 田中安兵衛の娘 松平伊豆守家臣吉川藤十郎方在住

妻子 預けるところがなかった!

父親の旗本伊丹宇右衛門は事件前に早世し、息子を預けるところがなかった。

長男

旗本の岡部駿河守が同情し子がないこともあり作十郎を引き取り面倒をみてくれていた。父の連座で評定所へ呼び出された時、法通り帯刀を外す様に命じた所、作十郎は「付き添いの家来に渡してよいか」と尋ね、少年とは思えぬ態度に居並ぶ役人は流石義士の子であると感嘆したという。幼年で許された彼は再び岡部夫妻に預けられたがその後の消息は不明。

長女

事件当時既に亡くなっている。

討ち入り姿矢田五郎右衛門討ち入り姿

吉良上野介襲撃

刀を折る!

奥田孫太夫勝田新左衛門と共に書院目指して突き進んでいると隠れていた敵が卑怯にも後から斬りかかってきた。

鎖帷子のお陰で負傷せずに済んだが、一の太刀で相手を切り伏せ、二の太刀を振り下ろした処、下に火鉢があって刀の切っ先から五、六寸のところで折れてしまったので相手の刀を奪って奮戦した。

のちに折れた刀は新刀であったが疵があったのかも知れないと洩らしている。

遺言

細川家世話役の堀内伝右衛門に

[討入りの時、佩刀を折り、相手から奪った刀を持っているから遺族が不思議に思うかも知れない。御下げ渡しの節は、そのわけを説明してやってほしい]

辞世の句:不詳

矢田五郎右衛門備忘録
生年
  • 延宝三年(1675)
没年
  • 元禄十六年二月四日
享年
  • 二十九歳
戒名
  • 刃法参剣信士
幼名
  • 不詳
家系
  • 本姓・藤原氏(特筆事項に記載)
出身
  • 播州赤穂(武蔵国江戸説あり)
屋敷
  • 江戸藩邸
役職
  • 馬廻・武具奉行(江戸定府)
禄高
  • 百五十石・二代
雅号
  • 不詳
変名
  • 塙 武助
仮寓
  • 江戸芝通町三丁目桧物屋惣兵衛店
  • 国助二尺
  • 脇差一尺六寸
討入切腹

赤穂四十七士と萱野三平

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