父
母
妻
- 父親の旗本伊丹宇右衛門は事件前に早世し、息子を預けるところがなかった。
長男
- 旗本の岡部駿河守が同情し子がないこともあり作十郎を引き取り面倒をみてくれていた。父の連座で評定所へ呼び出された時、法通り帯刀を外す様に命じた所、作十郎は「付き添いの家来に渡してよいか」と尋ね、少年とは思えぬ態度に居並ぶ役人は流石義士の子であると感嘆したという。幼年で許された彼は再び岡部夫妻に預けられたがその後の消息は不明。
長女
吉良邸の戦闘で刀を折る
討ち入り姿
奥田孫太夫、
勝田新左衛門と共に書院目指して突き進んでいると隠れていた敵が卑怯にも後から斬りかかってきた。
鎖帷子のお陰で負傷せずに済んだが、一の太刀で相手を切り伏せ、二の太刀を振り下ろした処、下に火鉢があって刀の切っ先から五、六寸のところで折れてしまったので相手の刀を奪って奮戦した。
のちに折れた刀は新刀であったが疵があったのかも知れないと洩らしている。
預け先 肥後熊本藩細川家
泉岳寺の墓
矢田五郎右衛門の墓
市内の石板
戒名
刃法参剣信士
辞世の句
不詳です
刀
国助二尺 脇差一尺六寸
遺言
細川家世話役の堀内伝右衛門に
[討入りの時、佩刀を折り、相手から奪った刀を持っているから遺族が不思議に思うかも知れない。御下げ渡しの節は、そのわけを説明してやってほしい]