家族・家系図・家紋
間家系図
三階松
市内石板
祖父
- 大石家と同じく近江国栗太郡田上庄に古くから住み田上の庄の間(はざま)に居て間姓を名乗る。
父
- 赤穂義士の間喜兵衛で弟の新六と親子三人で仇討ちに参加したのは間家だけ。大石内蔵助とは遠い親類。
母
姉
実弟
妹
吉良上野介発見の功労者
台所近くの炭部屋に踏み込むと、奧に誰か居る気配なので槍をつけた。うめき声がしたので
武林唯七が一刀を浴びせて討ちとめた。
引きずりだして見ると白綸子の下着を着ている。これは普通の人ではないと、灯りで照らして見ると背中にうすく傷跡がある。これこそ
吉良上野介であろうというので呼び子の笛を吹いて一同を集め、大石内蔵助が止めをさした。そのあと第一発見者として首級をあげ、泉岳寺では一番に焼香する栄に浴しています。
教養 文武に秀でる
討ち入り姿
剣は堀内源左衛門正春(真心影流)門下で
堀部安兵衛・
奥田孫太夫と並ぶ達人。槍術を水沼久太夫に学び山鹿流兵学を学んでいる。
江戸での仮住まい
赤穂の渡辺半右衛門宛(十一月五日付)
[(前略)私共居候処は麹町新五丁目にて候。同名喜齋儀も道中無事に先月十七日爰元へ致着申候。大食いたし被申笑申事にて御座候。御気遣被下間舗候。私共家は表口壱間半に裏へ七間ほど御座候家にて御座候。畳は十二畳ほどしけ申候。千馬三郎、同名喜齋、私、弟四人居申候。先月廿三日迄は中田藤内居申候か、俄に故郷恋しく罷成候哉廿三日之晩、爰元に林小左衛門と申仁御座候、藤内一家の者之由、是へ参候とて出申候か、廿四日の朝、小左方より発足上京申候。扨々にくきやつにて御座候。(略)爰元の様子もいまだいつとても知不申候、然共当月中には善悪知可申候(下略)]
預け先 三河岡崎藩水野家
泉岳寺の墓
間十次郎の墓
遺言
[剣の同門である細井広沢に鉄帽を贈りたい]
刀
政次 二尺五寸程 脇差 吉光二尺
辞世の句
[終にその待つにぞ露の玉の緒のけふ絶えて行く死出の山道] 赤城士話