赤穂義士 小野寺幸右衛門秀富の一部始終

おのでらこうえもん ひでとみ小野寺幸右衛門サムネイル
実兄は大高源吾

母親が小野寺十内の姉なのが縁で小野寺家の養子になる。

多川九左衛門の家系からは義士七名を輩出。江戸では養父の着物の繕いをするなど孝行息子であったことが分かっている。

家系図・家紋・遺言・辞世の句

家族と親戚多川一族家系図

[家紋] から花小野寺家の家紋[石板] 赤穂市内小野寺幸右衛門の石板

  • 実父 大高兵左衛門
  • 養父 小野寺十内秀和
  • 貞柳尼(小野寺又八の娘)
兄弟
  • 大高源吾(実兄)
親戚
  • 岡野金右衛門・間瀬久太夫・間瀬孫九郎・中村勘助
一族の多川九左衛門は収城目付に吉良上野介の処分(喧嘩両成敗)を願い嘆願使として江戸に派遣された人物。

結果は道中で行き違いになり役目を果たせずに終り無能よばわりされ、非難される。

室鳩巣は「義人録」の中で「多川・月岡是に於て使命を辱しむという可し、赤穂材なきに非ざる也。吉田・小野寺の練達あり、富森・神崎の勇幹あり。その他原・間・大高の徒皆選也。良雄(大石内蔵助のこと)是に於て人を知らずと云うべし」と述べている。

これに関して「赤穂義士実纂」の中で斎藤茂先生は「何をか言わんやと申し上げたい。しかも多川九左衛門は小野寺(父子)・大高・岡野・間瀬・中村の義士達の一族である」と。

幸衛門は大高兵左衛門の次男に生まれたが、母の貞柳尼が小野寺又八の娘で、京都留守居役小野寺十内の姉だったことから嗣子がいなかった十内、丹夫妻の養子となる。

孝行息子

討ち入り姿討ち入り姿

父親の繕いをする! 江戸に潜んでいる時、よく老父、十内の繕いものをしていたことが丹への手紙に載っている。まさに豪と優をそなえた自慢の孝行息子である。

討入時の活躍 弓の弦を切る

玄関から奥へ進んだ時、半弓が沢山並べてあるのを見て咄嗟の判断で弦を切り払った。その行為が他の浪士やお預けの家中からも高く評価された。

遺言

母の後事を懇願 貞柳尼のことを赤穂の花岳寺に頼み、義母、丹のことを「一人で居ること故偏に頼む」とて義父母の歌匠である京都の兼沢検校(けんぎょう)や浅野家御用である伏見の大塚屋小右衛門に十二月七日付の手紙で懇願している。

辞世の句
  • [今は早 言の葉草もなかりけり なにのためとて 露むすぶらん]
  • [今朝もはや いふ言の葉もなかりけり なにのためとて 露むすぶらん]の二説がある。遺言は不詳。

刀・雅号・性格・禄高など

小野寺幸右衛門備忘録
生年
  • 延宝四年(1676)
没年
  • 元禄十六年二月四日
享年
  • 二十八歳
戒名
  • 刃風颯剣信士
家系
  • 本姓 藤原氏
出身
  • 播州赤穂
屋敷
  • 京都浅野藩邸
禄高
  • 無禄
幼名
  • 不詳
雅号
  • 漸之(ざんし)貞作門
性格
  • 優と豪を兼ね備える
変名
  • 仙北又助
仮寓
  • 京都新三本木・江戸新麹町四丁目和泉屋五郎兵衛店に中村勘助、岡野金右衛門、 間瀬久太夫、岡島八十右衛門等と同居の後、父十内の寓居に移る
  • 無銘 尺不明
  • 脇差 無銘尺不明
討入切腹
赤穂四十七士と萱野三平

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