両親と兄弟と従弟
村松家系図
違い扇
父
母
実弟
- 村松政右衛門二十三歳 小笠原長門守家臣 伊豆大島へ流刑
従弟
父親の命令
討ち入り姿
江戸詰めの父は
浅野内匠頭の処遇に大いに憤激し、
大石内蔵助は必ず仇討ちの挙に出るであろうと赤穂に行くことを決める。出立の前、三太夫には「生きて母に孝養を尽くせ。と命じる。
部屋住み(仕官前)の身分
気骨のある息子はひそかに後を追い大森、川崎と過ぎて神奈川で声をかけ、許しを得てともに赤穂に赴き義盟に加わります。
再び江戸に戻った三太夫は初め父とともに八丁堀にいましたが、芝源助町に居を移し
礒貝十郎左衛門、
茅野和助らと同居して吉良邸の探索にあたりました。
討ち入りの際は、
裏門隊に属し屋内に突入して大いに奮戦しました。
預け先 美川岡崎藩水野家
泉岳寺の墓
村松三太夫の墓
市内の石板
戒名
刃清剣信士
遺言
不詳です
刀
無銘 二尺四寸 脇差 国助一尺六、七寸
辞世の句
[極楽を断りなしに通らばや弥陀諸共に四十八人]