家族・家系図・家紋
勝田家系図
替わり切り竹二本
父
母
姉
姉
妻子
- 独身(講談では幕府与力大竹重兵衛の娘を嫁にしたことになっているが間違い)
屋敷跡説明板 赤穂義士会(転載)
場所を確認
討ち入り姿
新左衛門の祖父新兵衛は、常陸笠間領の農民であったが武芸を好み、その縁で
内匠頭長直に見出されて召抱えられたという譜代の家臣で、長直が笠間から赤穂に移ったとき、祖父も従ってきた。
彼は義士若者組の一人で、剣術の腕前は、
堀部安兵衛、
杉野十平次につぐ使手で、仇討ち急進派であった。
殿中刃傷事件が起こったときは、僅か二十二才の若冠であったが、決然として義盟に加わり、開城後は江戸に出て本所三ツ目横町の杉野十平次の隠れ家に同居して、町人嘉右衛門と変名して、吉良邸の様子を探っていた。
討ち入りに当たっては、
表門隊に属し、
奥田孫太夫、
矢田五郎右衛門と三人で組んで屋内に切り込み大奮戦した。
のちに毛利家へお預けとなり、進藤為右衛門の介錯で切腹したが、遺言もなく、あっさりと思い切った人柄であった。
墓が二箇所
- 泉岳寺
- 法楽寺(勝田家墓所)、茨城県大和村大字本木には供養墓がある
預け先 長州府中藩毛利家
泉岳寺の墓
戒名:刃量霞剣信士
勝田新左衛門の墓
市内の石板
辞世の句
不詳です
遺言
不詳です
刀
大日如来の梵字有之・大小共に尺不明