江戸では私財を投じて仲間を助け本懐を遂げています。
杉野家系図
家紋:かりがね
石板:赤穂市内
元禄七年の松山城請け取りの時は一行に加わり、同十三年には主君の参勤に従って出府し凶変に遭う。彼自身は微禄であったが母方の萩原家は裕福であった。
父赤穂開城の時、母方の叔父達が先祖伝来の大筒を受城使の脇坂淡路守に売り払って藩中の怒りを買い、この事で次房は萩原一族と義絶する。
討ち入り姿
赤穂浪士の中では比較的裕福で赤穂退去時に家財道具を売り払って千両近くを所持していたが、同志のために惜しげもなく資金を提供したことで知られる。
先頃より緩々と致借宅、過分之至に御座候。以参謁右之御礼申入度存候得共、此節之義、態々差控、無其儀候。
別紙に書付申候。宜敷頼入存候以上 十二月十四日 杉野九一右衛門」
[然者殿様御法事等の義、御免にて四月十二日より同十四日迄御執行有之、御石塔、御位牌、外聞よろしく建立有之、先以珍重之御事と此上之悦びに御座候。其表に而は、さぞ嘸如何哉と可被思召、見る者よりは見ぬ人の心、扨々(さてさて)存遣られ申候]
生年
| 家系
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変名
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刀
| 討入
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遺言と辞世の句 不詳です |
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