赤穂浪士切腹
親類書は当時の慣例として切腹の前触れであったから、四十六人は勿論、四家でも近く切腹の申し渡しがあると推察した。この親類書により正確な戸籍等が分かり、貴重な史料となっている。
独り言 赤穂浪士は何故亡君内匠頭の墓前で切腹しなかったのかと非難する人がいる。実はこれが義士と反逆浪士の別れ道だった。自決は幕府を蔑ろにする行為で、法を犯した者は法の裁きに従がうのが当然と自訴して公に裁きを受け、死に就いた。これぞ有終の美だ。出典:赤穂義士事典
松平家家紋
大石主税(01・波賀清太夫) | 堀部安兵衛(02・荒川十太夫) | 貝賀弥左衛門(03・大島半平) |
菅谷半之丞(04・加藤分左衛門) | 木村岡右衛門(05・宮原久太夫) | 千馬三郎兵衛(06・波賀清太夫) |
不破数右衛門(07・荒木十太夫) | 中村勘助(08・大島半平) | 岡野金右衛門(09・加藤分左衛門) |
大高源五(10・宮原久太夫) | * | * |
毛利家家紋
勝田新左衛門(01・鵜飼惣右衛門) | 村松着兵衛(02・江波清吉) | 武林唯七(03・榊正右衛門) |
倉橋伝助(04・田上五左衛門) | 杉野十平次(05・進藤猪右衛門) | 吉田沢右衛門(06・鵜飼惣右衛門) |
小野寺幸右衛門(07・江波清吉) | 前原伊助(08・榊正右衛門) | 間新六(09・田上五右衛門) |
岡島八十右衛門(10・進藤猪右衛門) | * | * |
水野家家紋
間十次郎(01・青山武助) | 神崎与五郎(02・稲垣左助) | 村松三太夫(03・広瀬半助) |
横川勘平(04・山中源七郎) | 奥田貞右衛門(05・杉野源内) | 矢頭右衛門七(06・横山笹右衛門) |
間瀬孫九郎(07・小池権六郎) | 茅野和助(08・徳山又蔵) | 三村次郎左衛門(09・田口安右衛門) |
酬山は間新六だけが一人欠けているのを残念に思って毛利家の列に同じように土饅頭を作り法号を授けた。
義士祭:子供義士行列
四十六士の十九遺児のうち流刑に該当する十五歳以上の男子は四人で十四歳未満の男子(十五名)は十五歳まで刑は猶予された。
流人の持ち込める限度は士分で米二十俵、金札で二十両以内であった。
吉田伝内、間瀬左太八、中村忠三郎は本多家や松平家の好意で米十九俵と金十九両が贈られたが、村松政右衛門は小笠原家から米二俵と金四両だけしか貰えなかった。
大石吉千代十三歳(大石良雄次男) | 大石大三郎二歳(大石良雄三男) | 片岡新六十二歳(片岡高房長男) |
片岡六之助九歳(片岡高房次男) | 原十次郎五歳(原元辰長男) | 矢田作十郎九歳(矢田助武長男) |
富森長太郎二歳(富森正因長男) | 不破大五郎六歳(不破正種長男) | 中村勘次五歳(中村正辰次男) |
木村惣十郎九歳(木村貞行長男) | 大岡次郎四郎八歳(木村貞行次男) | 茅野猪之吉四歳(茅野常成長男 |
奥田清十郎二歳(奥田行高長男) | 岡島藤松十歳(岡島常樹長男) | 岡島五之助七歳(岡島常樹次男) |
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