神崎与五郎則休(赤穂義士)

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神崎与五郎

かんざきよごろう のりやす

五年前に赤穂藩浅野家に再仕官して凶変に遭う。美作出身者には横川勘平茅野和助がいて微禄の新参者にも拘らず共に討ち入りに加わる。

神崎与五郎は高禄の脱盟者を痛烈に批判する豪と義母や妻に対する態度に真逆の柔をみるとき柔と豪を兼ね備えた正義の人であったことがわかる。

家族・家系図・家紋

神崎家系図神崎与五郎の家系図

家紋:蛇の目神崎与五郎の家紋

赤穂藩との関係 不明のまま

容貌と性格と教養

変名の由来

美作屋善兵衛の名で扇子や団扇の地紙を売る。屋号の美作屋は祖父も父も津山城主森美作守に仕えていたからで店は麻布谷町にあった。家主は吉良に仕える徒士の伯父で吉良家に中間として入り込もうとしたが三河国吉良領以外の者は採らなかったので、あきらめ吉良邸門前の米屋五兵衛こと前原伊助の店に移り米や雑穀を扱う「小豆屋」とした。

直筆の手紙(母と妻宛)

神崎与五郎の手跡

元禄十五年十月十六日付(1702)で
「一筆申し参らせ候。まづまづかもじはじめ、そもじ殿無事御暮らし候て目出度く存じ参らせ候。此方我が身無事に暮し候まま、御気遣ひなされまじく候。今年は我ら事御案じ候てつかえもふとり申す由。さてさてこれのみ気の毒に存じ参らせ候。我事忘れ申さるる間なき由、さぞさぞさ候はんとすもじ(推量)致し参らせ候。我らと思はれ候て、かもじへ、よくよく愛らしく致され下さるべく候。我らとても、その方恋しく候ても、これは人たるものの勤めにて候。かもじなどいろいろと申され候てもそもじ殿心弱く候ては悪しく候まゝよくよく分別なさるべく候。なるように外ならぬものにて候。くれぐれ左様に御心得候て、そもじ殿わづらひ申されぬように致されぬように致され候べく候。何ほど我ら事、御案じ候ても詮なく候。そもじ殿つかれふとり候由御申越候て、さてさて気づかひに存じまいらせ候」

独り言神崎与五郎自筆の手紙であると平成二十五年に赤穂市教育委員会が発表。この手紙は妻「かつ」へ宛てた返書とみられ、かな文字のやさしい筆跡に家族への思いやりが感じられるとの解説が付してありました。これとは対照的に前原伊助が討ち入り前に著した「赤城盟伝」では藩重役の脱盟を厳しく指弾していて硬軟併せ持った剛直の士であったことがよく分りました。

赤穂藩重役の脱盟を痛烈に非難

討ち入り姿神崎与五郎の画像

[奥野将監はじめは義をたくましくし、祖山城半左衛門の武功を尊ぶ。然も其の鉄心忽ち鎔けしこうして空しく不義泥水に入る者なり。河村伝兵衛、進藤源四郎、佐藤伊右衛門、小山源五左衛門、稲川十郎右衛門ともに忠義を抱き、金石の如しと雖も、節にのぞみこれを忘れる。あたかも雪霜の旭光に向ふが如し。蜉蝣(かげろう)薄暮をおそれ秋蝉鳶鴟(しゅうぜんえんし)をにくむの類なり。なかんづく小山、進藤は大石に縁ありて共に死せざるべからざるなり。しかるに進藤曰く『いま事を果たさんと欲する者は、皆な餓死をにくんで忠臣に似たる成り』と、此れ何の謂ぞや。汝忠心を棄てて、飢うる没(な)きを採るか。至愚を抱いて言を吐く者なり。糟屋勘左衛門、田中権右衛門、多藝太郎左衛門共に人の義あるを羨み、暫く大石に属すと雖も、もと性弱きによりて、忽ち心を変ずる者なり]

那波(現在の相生市)十景を詠む

「那波十景」元禄十四年高光寺所蔵那波十景の画像

石板:赤穂市内神崎与五郎則休の詩の銘板

[神山や松はすねつつ花の雲] 宮山松開花
[那波とくが陸あらそふとなし夕田歌] 浜田面の早苗
[すんなりと淵に入らてそ蛍の火] 鯆淵流の蛍乱
[海山も月の隈かな岡野台] 岡野台秋月
[竜神も雪を見よとや山のかげ] 雪降台暮雪
[川柳まねいて見るや二子島] 二子対姨川
[大島や海はいよいよ夏木立] 浮水大島翠(みどり)
[此月に素面な"りけり秋の鷺] 大避崎宿鷺
[涼みかも網帆唐めく相生(おお)の船] 相生浦漁舟
[彩色や入り江いりえの浅かすみ] 馬通望曲江

預け先 三河岡崎藩水野家

泉岳寺の墓

戒名:刃利教剣信士

神崎与五郎の墓泉岳寺:神崎与五郎の墓(戻る)

遺言

不詳です

広光 二尺五寸 脇差 一尺八寸無銘

辞世の句

槍印に付けた句
[梓弓春ちかければ小手の上の雪をも花のふぶきとも見ん]
神崎与五郎備忘録
生年
  • 寛文六年(1666)
没年
  • 元禄十六年二月四日
享年
  • 三十八歳
性格
  • 豪放磊落と繊細さを備えた人
雅号
  • 竹平
変名
  • 美作屋善兵衛・小豆屋善兵衛・千崎弥五郎則安(仮名手本)
討入
家系
  • 本姓・源氏
出身
  • 美作国津山(岡山県津山市)
屋敷
  • 赤穂城下
役職
  • 横目付
禄高
  • 五両三人扶持・新参
仮寓
  • 播州赤穂郡那波・江戸麻布谷町・本所相生町二丁目
切腹

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