赤穂義士 神崎与五郎則休の一部始終

かんざきよごろう のりやす神崎与五郎サムネイル
赤穂藩浅野家に再仕官

時期や経緯などは不明だが美作出身者には横川勘平茅野和助がいて共に討ち入りに加わる。

文武に優れた与五郎は高禄の脱盟者に厳しい筆誅を加えた点が際立つ。

家系図・家紋・容貌・変名・手紙

家族
神崎与五郎の家系図
  • 神崎半右衛門(森美作守家臣として仕えていたが元禄十年に森家が断絶し浪人する)
  • 下山六郎兵衛の娘(美作津山藩森家家臣)
  • 神崎藤九郎(津山森家家臣のち浪人)
  • おかつ 浅野家中河野九郎左衛門の娘で仲睦まじく義母まで引き取って世話をしていた
赤穂藩との縁 不明のまま

家紋:蛇の目神崎与五郎の家紋

  • 父の半右衛門を継いで仕官した森家が断絶して浪人し、浅野家に仕官した説。
  • 弟の藤九郎に家督を譲って早くから郷里の美作を出ていたとする二説がある。
  • 赤穂義士事典では「父半右衛門は津山城主森美作守の家臣だった。

    半右衛門隠居の後、与五郎は家督を継いで仕えたが元禄十年に美作守死去して主家断絶

    浪人となり、両親を国に残して赤穂に来たり、内匠頭に仕官して五両三人扶持、横目付に任ぜられた」とある。
性格と容貌 美男子で多能

石板:赤穂市内神崎与五郎則休の詩の銘板

  • 優美な容貌であったと「作陽異人伝」や「箕作犬庵」(与五郎の従弟)に出ている。
  • 人柄は豪放磊落と繊細さを兼ね備えた人で酒斗なを辞さずの酒好き。
  • 書を読み詩を賦し、歌を詠じ俳句にも通じるなど多能。(俳諧は水間沾徳に和歌は葛岡修理太夫に学ぶ)
変名の由来

討ち入り姿神崎与五郎の画像

美作屋善兵衛の名で扇子や団扇の地紙を売る

屋号の美作屋は祖父も父も津山城主森美作守に仕えていたからで店は麻布谷町にあった。

家主は吉良に仕える徒士の伯父で吉良家に中間として入り込もうとしたが三河国吉良領以外の者は採らなかったので、あきらめ吉良邸門前の米屋五兵衛こと前原伊助の店に移り米や雑穀を扱う「小豆屋」とした。

脱盟者に対して
重臣の脱盟を痛烈に非難 「奥野将監はじめは義をたくましくし、祖山城半左衛門の武功を尊ぶ。然も其の鉄心忽ち鎔けしこうして空しく不義泥水に入る者なり。

河村伝兵衛、進藤源四郎、佐藤伊右衛門、小山源五左衛門、稲川十郎右衛門ともに忠義を抱き、金石の如しと雖も、節にのぞみこれを忘れる。あたかも雪霜の旭光に向ふが如し。

蜉蝣(かげろう)薄暮をおそれ秋蝉鳶鴟(しゅうぜんえんし)をにくむの類なり。なかんづく小山、進藤は大石に縁ありて共に死せざるべからざるなり。

しかるに進藤曰く『いま事を果たさんと欲する者は、皆な餓死をにくんで忠臣に似たる成り』と、此れ何の謂ぞや。汝忠心を棄てて、飢うる没(な)きを採るか。

至愚を抱いて言を吐く者なり。糟屋勘左衛門、田中権右衛門、多藝太郎左衛門共に人の義あるを羨み、暫く大石に属すと雖も、もと性弱きによりて、忽ち心を変ずる者なり」

神崎与五郎の手跡独り言 神崎与五郎自筆の手紙であると平成二十五年に赤穂市教育委員会が発表。この手紙は妻「かつ」へ宛てた返書とみられ、かな文字のやさしい筆跡に家族への思いやりが感じられるとのコメントが付してありました。酒斗なを辞さずの豪放と細心を併せ持つ与五郎を垣間見た気がしました。

母と妻宛の手紙
夫婦仲の良い孝行息子 元禄十五年十月十六日付(1702)で、「一筆申し参らせ候。まづまづかもじはじめ、そもじ殿無事御暮らし候て目出度く存じ参らせ候。此方我が身無事に暮し候まま、御気遣ひなされまじく候。

今年は我ら事御案じ候てつかえもふとり申す由。さてさてこれのみ気の毒に存じ参らせ候。我事忘れ申さるる間なき由、さぞさぞさ候はんとすもじ(推量)致し参らせ候。

我らと思はれ候て、かもじへ、よくよく愛らしく致され下さるべく候。我らとても、その方恋しく候ても、これは人たるものの勤めにて候。

かもじなどいろいろと申され候てもそもじ殿心弱く候ては悪しく候まゝよくよく分別なさるべく候。

なるように外ならぬものにて候。くれぐれ左様に御心得候て、そもじ殿わづらひ申されぬように致されぬように致され候べく候。何ほど我ら事、御案じ候ても詮なく候。そもじ殿つかれふとり候由御申越候て、さてさて気づかひに存じまいらせ候」

「那波十景」を詠む

那波十景の画像「那波十景」元禄十四年 高光寺所蔵

赤穂開城後相生に隠棲中の作
  • [神山や松はすねつつ花の雲] 宮山松開花
  • [那波とくが陸あらそふとなし夕田歌] 浜田面の早苗
  • [すんなりと淵に入らてそ蛍の火] 鯆淵流の蛍乱
  • [海山も月の隈かな岡野台] 岡野台秋月
  • [竜神も雪を見よとや山のかげ] 雪降台暮雪
  • [川柳まねいて見るや二子島] 二子対姨川
  • [大島や海はいよいよ夏木立] 浮水大島翠(みどり)
  • [此月に素面なりけり秋の鷺] 大避崎宿鷺
  • [涼みかも網帆唐めく相生(おお)の船] 相生浦漁舟
  • [彩色や入り江いりえの浅かすみ] 馬通望曲江

辞世の句・雅号・刀・禄高・役職

神崎与五郎備忘録
生年
  • 寛文六年(1666)
没年
  • 元禄十六年二月四日
享年
  • 三十八歳
戒名
  • 刃利教剣信士
雅号
  • 竹平
家系
  • 本姓・源氏
出身
  • 美作国津山(岡山県津山市)
屋敷
  • 赤穂城下
役職
  • 横目付
禄高
  • 五両三人扶持・新参
性格
  • 豪放磊落と繊細さを備えた人
変名
  • 美作屋善兵衛・小豆屋善兵衛・千崎弥五郎則安(仮名手本)
仮寓
  • 播州赤穂郡那波・江戸麻布谷町・本所相生町二丁目
  • 広光 二尺五寸
  • 脇差 一尺八寸無銘
討入切腹
辞世
  • [梓弓春近ければ小手の上の雪をも花のふぶきとや見ん]
  • [とんで入る手にもたまらぬ霰哉] 遺言:不詳
赤穂四十七士と萱野三平

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