01月28日 | 朝賀使の吉良上野介は京都所司代松平紀伊守と共に京都御所に参内して天盃を賜る |
02月04日 | 幕府は浅野内匠頭長矩に勅使饗応役、伊達左京亮村豊に院使饗応役を命じる |
02月27日 | 勅使の柳原前大納言、高野前中納言、院使の清閑寺前大納言が京都を発つ |
02月29日 | 吉良上野介は江戸に帰り、将軍綱吉に復命の為、登城する |
03月10日 |
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03月11日 | 持病に悩む
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03月14日 | 刃傷事件を起こし浅野内匠頭切腹 |
03月15日 | 浅野大学閉門
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03月17日 | 幕府は浅野家の江戸鉄砲州上屋敷と赤坂南部阪下屋敷を公収する |
03月19日 | 赤穂藩士総登城
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03月20日 | 大石内蔵助の指揮のもと、町民に対し六分替をもって藩札の交換を開始する |
03月26日 | 吉良上野介が高家筆頭を辞職する |
03月27日 | 大石内蔵助は藩士を城中に集めて大評定を行った結果、3月29日に無条件開城を決める |
04月05日 | 大石内蔵助は藩庫を開き士卒へ金子や米穀の分配作業を開始する |
04月12日 | 浅野藩士ら赤穂より退散を始める。大野九郎兵衛父子が夜中に逃亡する |
04月15日 | 無念 大石内蔵助
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04月18日 | 大軍集結
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04月19日 | 無血開城
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05月05日 | 大石内蔵助は遠林寺祐海に浅野長重(華獄院)、長直(久岳院)、長友(景永院)、長矩(冷光院)四公の日牌料を持って高野山へ行かせ奥の院に長矩の建墓をなす |
05月20日 | 大石内蔵助は遠林寺の祐海を江戸に派遣し、鏡照院を介して主家再興の運動をさせる |
05月21日 | 赤穂浅野藩政の残務整理をすべて終了する |
06月24日 | 浅野内匠頭百箇日法要 |
06月25日 | 大石内蔵助は海路、大坂を経て京都の山科に向かい六月二十八日に到着する。画像は赤穂御崎公園の大石内蔵助銅像 |
刃傷事件から赤穂城開城迄の年譜の頁へようこそ! (C) 2011 tadeho48